公立校は、海外の地元の子供たちが通う学校です。公立校の特長やメリット、エディクムの考え方などをご紹介します。
海外の公立校とは?
エディクムでは、以下の国々の公立校留学をサポートしています。
- カナダ
- ニュージーランド
国や地域によって、受け入れ可能年齢が異なります。入学は決して難しくありませんが、私立より劣るということはありません。卒業後は地元の子どたちと同じ扱いになります。なので、例えばカナダでは大学進学のための必須教科を履修していなかったり単位が取れていなかったりすると、大学受験ができなくなるので注意が必要です。また、学校から大学進学のための積極的なサポートは望めませんので、自主的に学習し自らが率先して行動できる学生にお勧めします。
入学時期は北米が新学期を迎える9月頃、ニュージーランドは2月頃です。オセアニアでは学期ごとに入学できるところや半年、1年などの留学を受け入れている所もありますので、ご相談ください。なお、現地ガーディアン(現地保証人)が必要な場合もあります。通常、ガーディアン費用は別途かかります。
公立校に通うことのメリット
- 学校だけでなく、家庭で使う実践的な英語が身に付く
- ホームステイによる現地家族とのつながりを持つことができる
- 地域と密着した生活ため、その国の習慣や文化を肌で感じられる
- 自主性、自立性をより多く求められるので自ら考え行動する力が伸びる
- より多様性の高い学生が集まっている
- ほとんどの私立校よりも授業料が安い
公立校での生活
ホームステイ
ほとんどの公立校には寮がないため、ホームステイ滞在となります。ホームステイ先は、学校や地域、関連団体などが募集した家庭の中から選ばれます。できる限り学生の興味や希望に基づいて手配されますが、必ずしも全ての条件が満たされるわけではありませんのでご留意下さい。
ホームステイのメリットは、なんといっても第2の家庭ができることです。文化も習慣も違う国で、言葉も不自由な時からお世話になったホームステイ先は、実の家族と同じ位自分のことを理解してくれる存在になり得ます。しかし、「お客さま」ではなく、家族の一員として過ごす以上、その家庭のルールや決まりごとを守り、共同生活を円滑に過ごすための努力をしなければなりません。
ホームステイ先のルールの例
- 食事の時間
- シャワーを浴びる時間
- 門限
- インターネットを使える時間
- 家庭の中での役割分担
サポート環境
公立校留学中のエディクムの詳しいサポートにつきましては、以下をご覧ください
生活サポート
留学先によって形態は異なりますが、ほとんどの場合、留学生のサポート担当者やホームステイ手配担当者が学校内、あるいは学区内において、さまざまなサポートを提供しています。
公立校への留学実績・体験談
エディクムの子どもたちは、ボーディングスクール、サマースクール、公立校含め、さまざまな学校に留学していきました。以下に紹介していますので、ご覧ください。 » 実績を見る
エディクムには、7,800人以上のOB・OGがいます。
さらに詳しい留学中の生活につきましては、以下の体験談をご覧ください。
留学がきっかけで起業、社長へ
K.O.くんは、日本の中学校を卒業後、Bethlehem College(タウランガ・ニュージーランド)のYear10(中学校3年生に相当)へ入学し、3年半後に同校を卒業しました。
【K.O.くんのプロフィール】 1991年12月、富山県小杉町(現射水市)で生まれ、小学校3年生まで富山県、小学校4年生から6年生は長野県松本市、そして中学校3年間は新潟県妙高市で過ごす。その後、高校時代にカナダへ行った兄、オーストラリアに10年住んでいた叔母の影響で、その他にもいくつかの理由から(後述する)、ニュージーランドへの留学を決める。 Bethlehem College卒業後は、早稲田大学政治経済学部経済学科へ入学し、大学1年時に、翻訳・通訳のウェブサービス会社を起業、その後、売却、そしてその資金を元手に、大学2年時に民泊事業を開始する。2015年、大学4年時に法人化。現在、ホテル・ブライダル・不動産・人材事業を中心に9社、30事業の会長を務める。
まさかの受験失敗から、ニュージーランドへ
最初に、留学できる環境を提供してくれた、両親には感謝をしてもしきれない。今でもよく考えることがある。もし私が、留学していなかったらどうなっていただろうと。 私の家系は、父をはじめ親族の大多数が医師であり、当然私も、将来的は医師になると幼少期から思っていたし、おそらく留学をしていなければ、昔から想像していたルートを歩み、今頃医師になっていただろうと、ふと考えることがある。そんな私が、なぜ留学をすることになったか。前述で、兄や叔母の影響が、と述べたが、最大の理由は、高校受験に失敗したからである。当時の私は、中学校に昼頃に登校し、ランチを食べ、友人達と遊んで、友人達の部活を遊び歩いた後、学校の部活外で習っていた極真空手に行く、という、自分でいうのもなんだが、適当な日々を送っていた。一方で、当時、新潟県内の中学校で最も生徒数の多い中学校で、試験の前日には徹夜で寝不足になりながら教科書を熟読し、隠れてこっそり勉強はしていたことから、自慢ではないが、定期試験では常に上位の成績を取得していた。そういった成績結果だけはしっかり出しているということもあり、学校に出席しなくとも煩く言われることもなく、かなり厄介な中学生であったと今にして思う。当然、その様な行動や、短期記憶に頼りきって毎度の試験に臨んでいたこともあり、高校受験も2週間前から勉強を始め、県内一の進学校のみを受験した結果、見事、不合格となったのである。中学の卒業式前の2月であったが、当時は根拠のない自信家だったこともあり、当然滑り止め校も受けておらず、高校で浪人することも想定しておらず、不合格の結果通知を受け取るという(今だから笑えるが)不測の事態に直面し、放心状態となってしまった。 その様ななか、3歳上の兄を短期の高校留学に送り出していた両親が、折角の機会なので、むしろこの結果を前向きに捉え、海外の高校へ進学したらどうか、と勧めてくれた。これから英語ができることが当たり前の世の中になり、また、幼い頃から日本以外の国も見てきて色々な文化、考え方を知り、視野を広げた方が良いと言ってくれた両親には、本当に感謝している。そして、当時やんちゃだった私は、何をしでかすか自他ともに分からず、自然豊かでのびのびと安全に暮らせる国、ニュージーランドへと留学することとなった。
中学校3年をもう一度やり直す
英語はもちろん学年でトップクラスの成績を誇っていた私ではあったが、あくまで試験上の話で、それまで英語を話したことは殆どなかった。最後に海外へ行ったのは、中学2年生の時に2週間、叔母のいるメルボルンだったが、いざ現地に到着しても全く英語を聞き取れず、ひたすら黙り続けていた私である。そんな英語が話せない私は、まずYear10として、ニュージーランドの経済の中心地オークランドから南東に300km程度に位置するBay Of Plentyのタウランガという街にある、Bethlehem Collegeへ入学した。当時は、中3をやり直すのか!一刻も早く高校に進学したい!という焦った気持ちがありつつも、留学準備に2ヶ月かけ、入学した時は、既に6月であったこともあり、2月に学期が始まり11月に終わる南半球の学校のため、最初の半年は、英語の勉強と割り切り、勉強をすることとした。
2回のホームステイ暮らし
滞在方法はホームステイであった。最初の家庭は、過去10年近くにわたり留学生を受け入れているベテランホストファミリーであった。3人の子供がいたが、既に3人とも成人しておりオーストラリアで就職していたため、私は、ホストファザーとホストマザー、台湾人留学生の3名の家族の一員として加わった。ホストマザーが看護師で、ホストファザーが家事を中心に行っており、ニュージーランドらしい家庭で過ごせたのは、大変貴重な経験となった。ニュージーランドでは、つい先日まで国のトップである首相が女性であったし、就業におけるジェンダーギャップが世界的に見てもほぼ無いニュージーランドでは、今や、大学入学者は男性より女性の方が多いという現状もある。また、別の家庭も見てみたいという気持ちもあった私は、最後の年Year13の1年間は、既に香港人、韓国人の2名の留学生を受け入れていた、評判も良かったトンガ人のホストファミリー宅で過ごした。
打ち込んでいたスポーツ
ニュージーランドといえば、ハカやオールブラックスで有名な、国民的スポーツ、ラグビーである。私も高校は、中学から続けていた空手の延長で、地元のキックボクシング、ブラジリアン柔術、総合格闘技ジムに通いつつ、ラグビーに打ち込んだ。ラグビーは1軍には体重80kg以上ないと入れないという規定があり、身長171cmしか無い私は、肉とポテトを毎日食べ、体を大きくし、重めの服を着こんで、ギリギリ体重制限をパスすることができた。私の学校、Bethlehem Collegeは男女共学であったが、よく試合をしていた男子校は現地のマオリというニュージーランドの先住民族が多く、また、ハカを必ずといっていいほど試合前に踊り、地響きが鳴り、試合前には毎回ビビっていた。練習は週6とほとんど毎日あったが、練習という感覚もなく、皆遊びの延長でやっている感じであり、非常に楽しい思い出の一つとなった。週末の試合後には、ハンギというマオリ伝統料理を楽しみながら音楽を流し、パーティーに明け暮れ、楽しんだ。スポーツや音楽は、文化や風習の壁を越え、仲良くなるだけでなく、精神面も鍛えられ、コミュニケーションの上達にもつながり、一石三鳥であり、是非、これから留学する方にも、留学中の方でもまだ取り組んでいない方がいれば、現地の学生と是非、何かしら一緒に活動することをお奨めする。将来の財産に繋がるのは間違いない。
留学して良かったこと、総評
将来のためになるからと、留学に送り出してくれた両親に感謝すると共に、準備から、何も知らない土地での不安だらけの学校生活、留学後の進路相談まで徹底的にサポートして頂いた、エディクムのスタッフの方々には改めて深く感謝申し上げたい。
留学して身についたことは大きく3つある。 まず1つ目に、勿論、「英語力」である。今日、日本の大学在学中に留学する人は多いが、早い程、吸収力が違う。ただ、早すぎても良いという事ではなく、日本の文化、言葉遣い、経験を一通り吸収した中学卒業後というタイミングも、非常に良かったと振り返っている。 2つ目に、「柔軟な考え方」である。現地の人間だけでなく、自分と同じようなインターナショナルな留学生達とも交流を深めることにより、文化の壁を越え、物事をまずは受け入れ、吸収し、考えられる力が身についた。 そして最後に、「度胸」である。経験がない領域や場所での展開を0からワクワクして取り組めるようになった。これは今の仕事で、どの様な領域の事業でも私が展開できることに繋がっている。 最後に、現在、留学中の学生も、留学をこれから考えている学生も、この良い経験を最大限に活用すべく、是非色々と留学中にトライして欲しいと思う。