ボーディングスクール

ボーディングスクールの特長やメリット、エディクムの考え方などご紹介します。

ボーディングスクールとは?


ボーディングスクールとは、寮の施設を持ち、学生を24時間体制でサポートする学校の総称です。一部の全寮制を除き、約50%~85%の学生が寮生としてキャンパス内で生活をしています。文武両道に秀でた次世代の社会のリーダーとなる人物の育成に力を注いでいるのが大きな特徴です。世界中から集まった学生はそれぞれの文化や考え方を持ち合いながら寮で共同生活し、学習、スポーツ、芸術のほか、地域社会のボランティア活動などさまざまな経験を積みます。教師も大半は寮やキャンパス内に暮らし、放課後も学生の生活をサポートしています。 小学生から受け入れ可能な学校や、中高一貫の6年制、中3から高3までの4年制などがあります。

その中でも大学進学に定評がある学校をプレップスクール/College Preparatory Schoolと呼んでいます。プレップスクール以外にSmall Boarding School(スモールボーディングスクール)、Military School(ミリタリースクール)、Church School(ミッション系スクール)、Single Sex School(男子校/女子校)、Art School (芸術系学校)、Junior Boarding School(ジュニアボーディングスクール)、IB Program School(国際バカロレア教育を持つ学校)などボーディングスクールには特徴的で個性的な学校が多く、学生のニーズに合わせた学校選択を可能にしています。

ボーディングスクールで学ぶことのメリット

海外のボーディングスクールで学ぶことのメリットはどんなことでしょうか?

  1. 英語で行われる授業を理解し、自分の意見を明確に英語で発言することができ実践的な英語力を身につけることができる。
  2. 1クラス平均12名程度の少人数制授業。教科担当の先生が1人ひとりの学習習熟度を把握することができ、学生は的確なアドバイスや指導を受けることができる。また学生の生活面や成績を包括的に把握し、相談役を担うアドバイザー(Advisor)からのサポートを受けることができる。
  3. 規律正しい寮生活を通し、時間管理・自己管理・自己責任を自然に身につけることができる。
  4. 多様な背景・文化・考え方を持つ学生との日常的な交流の中で、異文化に対する興味や理解が深まる。その結果「違い/Difference」を受け入れる力が身につき、世界的な視点から日本について考えることができるようになる
  5. 高校や大学進学のための勉強だけでなく、リーダーシップ活動・奉仕活動・スポーツ・芸術/文化活動など多岐にわたる活動に参加する機会が与えられ、自分の興味関心を追及することや新しい才能や能力を発見するチャンスがある。生活・勉強・スポーツ・芸術活動・課外活動に必要な設備や施設はほぼすべて学校キャンパス内にあり、時間を最大限有効に使うことができる。
  6. 学生寮には複数の教職員またその家族が学生とともに共同生活し、24時間体制で学生の生活面をサポート。ほかの多くの教職員も学校キャンパス内にある教職員用住宅で生活し、学生の学習面をサポートしている。セキュリティースタッフも常駐し安全面も確保されている。学生が安心して学生生活に集中することができる環境が整っている。

ボーディングスクールでは「Well Rounded Person」が良い学生として高い評価を受けます。「Well Rounded Person」とは学業成績が優秀であることはもちろんのこと、スポーツ、音楽、美術、ボランティア活動などに自主的に参加し、そのいずれにおいても最大限の努力をし、リーダーシップを発揮することのできる学生を指します。

ボーディングスクールの選び方

ボーディングスクールもそれぞれに特徴や個性があります。子どもの性格、英語力、学力、留学の目標、将来の夢などを考慮し、最も子どもにあうベストマッチな学校を選びましょう。名門校や難関校と評価されている学校が常に子どもに適した学校とは限りません。

学校を選ぶ時の10のポイント


  1. 国(地域)
  2. 全校学生数
  3. 寮生と通学生の比率
  4. 留学生の数(突出して人数の多い国籍の有無)
  5. 英語研修(ESL)の有無およびそのレベル
  6. 年間費用
  7. 課外活動
  8. 設備
  9. カリキュラム(2学期制/3学期制、週5日制か6日制か、APコースの数、科目数など)
  10. 卒業後の進学実績

ボーディングスクールの種類


プレップスクール/College Preparatory School
卒業後の大学進学に重点を置き大学進学用のカリキュラムやプログラムを持っている。大学進学カウンセリング/College Counselingも充実し、専門のカウンセラーが学生の大学進学をサポートする。卒業後の大学進学率はほぼ100%。プレップスクールには特に大学進学実績が優秀な学校群がある。
The Ten Schools(10スクールズ)アメリカ
100年以上の歴史と伝統をもち、学業及び社会的に貢献できる人物を数多く輩出している名門難関私立校。卒業生の多くが、ハーバード大学をはじめとするアイビーリーグ、または全米トップクラスの大学へ進学する。
Philips Academy Andover, Philips Exeter Academy, Choate Rosemary Hall, Deerfield Academy, The Loomis Chaffee School, The Hill School, The Hotchkiss School, The Lawrenceville School, St. Paul's School, The Taft School
Strong Prep School (ストロングプレップスクール)
The Ten Schoolsの次に位置づけされる中堅クラスの学校。ほぼ全員が大学に進学する。ストロングプレップからもアイビーリーグやレベルの高い大学へ進学している。
Small Boarding School (スモールボーディングスクール)
在籍学生数が200名以下の学校。Strong Prep Schoolと比較し、個人へのサポート体制がよりきめ細やかである。
大きな特徴としてESLが充実している学校が多く、またアットホームな生活環境を提供する。
Military School(ミリタリースクール)
アメリカの退役した軍人などによって運営されている学校。軍隊式の規則正しい生活を提供する。部屋の整理整頓・食事の際のマナーなど徹底して訓練される。高校卒業資格は通常のボーディングスクールと同様に学生は大学に進学をする。リーダーシップ教育を重視している。
Church School(ミッション系スクール)
学校のカリキュラムの中に、宗教(聖書)の学習を必須科目として定めている学校。特定の宗派によって運営されている場合が多い。入学志願者の宗派は問わないが、礼拝への出席を義務付けていることもある。教会などからの支援を受けることでプレップスクールなどのボーディングスクールに比べ年間費用が少ない学校もある。
Single Sex School(男子校/女子校)
男子校と女子校に分かれている学校。中には、小学部まで通学制学校で共学のところがある。特徴として、男子校はスポーツの種類やチームが多く強豪校の場合が多い。女子校はダンス、音楽、美術、乗馬のプログラムに力を入れている学校が多い。また、それぞれの性別に適した教育方法を取り入れていることも特徴のひとつである。
Art School (芸術系学校)
より多く美術や音楽、演劇、ダンスなどの勉強ができる学校。学校により芸術の得意分野が異なる。多くの学生が、卒業後に芸術大学へ進学する。学校によっては、出願時にオーディションを受けなければならない。
Junior Boarding School(ジュニアボーディングスクール)
9年生までを受け入れている学校。低年齢向けの教育を提供しているThe Ten Schoolsやストロングプレップスクールの準備校として創設された学校が多い。高校入学時にはネイティブと同等の実践的英語力を習得している学生も少なくない。留学生は5年生もしくは6年生から入学が認められている学校が多い。
IB Program School(国際バカロレア課程認定校)
IB(インターナショナルバカロレア)資格と呼ばれる、個々の国独自の教育制度に依存しない大学入学資格が取得可能なプログラムを提供する学校。世界の著名な大学を含め、122カ国以上で認定されており、中等教育の最後の2年間に、卒業論文を含む6種類の選択科目を学び、試験を受ける。ここ数年、IB資格が取得可能な学校は増加傾向にある。

エディクムは、以下のことを大切に考え、学校選定のお手伝いをします

  • 知名度だけではなく、子供たちに合った学校選び
  • 留学する目的や将来の夢を共有し、実現する事ができる学校選び

ボーディングスクールへの留学は、エディクムが設立当初から力を入れて開拓し、多くの学校を日本に紹介してきました。2003年、世界のボーディングスクール約300校が加盟するTABS(The Association of Boarding Schools)より、顧客へのサービスとボーディングスクールへの貢献が認められ、日本で唯一表彰を受けています。


ボーディングスクールでの生活


寮生活

ボーディングスクールは、学生が安心して安全に学生生活を送れるよう多くの規則があります。その規則の大前提が「規則正しい生活習慣を身につけること」です。 起床時間、授業開始/終了時間、食事の時間、放課後のスポーツ、アクティビティへの参加、夜のStudy Hall(勉強時間)、そして消灯時間に至るまで、毎日のスケジュールは細かく時間単位で決まっています。

世界中の学生が1つ屋根の下でルームメイトとして共同生活をしているため、寮にも多くの規則が設けられています。安心で安全な寮生活を確保し提供することで、世界中から集まった異なる文化や考え方を持ち合った学生たちが、臆することなく日常的に交流することができるのです。 寮はクラスルームとはまた違う、学生同士の「学びの場」としての役割を担っています。それがボーディングスクールの寮生活です。


寮生活の例


06:00-07:15 起床/ベットメイキング/シャワー/登校準備
07:15-08:00 カフェテリア(食堂)で朝食
08:00-11:45 授業
11:45-12:30 昼食
12:30-15:00 授業
15:00-16:00 各教科の先生に質問&補習を受ける 時間
16:00-18:00 スポーツ/課外活動
18:15-19:00 夕食
19:30-21:50 Study Hall(寮内での自習時間)
21:50-22:30 自由時間
23:00 消灯

土曜日&日曜日のスケジュール

学校は休みです。週末は所属するスポーツの試合が行われ、その他のアクティビティーが開催されます。寮生のために、小旅行やショッピングツアーが計画されることもあります。それらのアクティビティーには参加せず、ゆっくり休んだり、勉強時間にすることもできます。

サポート環境

ボーディングスクール留学中のエディクムの詳しいサポートにつきましては、以下をご覧ください。

エディクムのサポート

生活のサポート

教職員の75% ~ 90%が学校の敷地内に住んでおり、放課後、夜の自習時間中、週末の自由時間など、先生に直接質問することができます。

進学のサポート

全ての学生が第1志望に合格進学することはありませんが、学校は「Best School for Each Student(1人ひとりにとっての最良の学校)」を叶えることができるように徹底した進学サポートを学生に提供します。

学校には、進学カウンセラーがおり、彼らは学生の進路相談や受験準備(面接練習、願書作成/願書作文の作成&添削など)だけでなく、卒業生が進学した学校とのネットワーク作り、次のステップへの説明会やQ & Aを開催する手配など、進学にかかわる全てのことを行います

ボーディングスクールへの留学実績・体験談

エディクムの子供たちは、ボーディングスクール、サマースクール、公立校含め、さまざまな学校に留学していきました。以下に紹介していますので、ご覧ください。


ニュージーランドのボーディングスクールに4年間通ったK.Y.くん

学校名 St. Paul’s Collegiate School
学校の種類 ボーディングスクール//私立
滞在国 ニュージーランド
滞在開始学年 中学3年生
滞在期間 4年間
滞在方法

国境封鎖が続くニュージーランドで思うこと

 私は2017 年1 月からニュージーランドで学んでいます。こちらにはYear10(日本の中学校3 年生に相当)として入学し、現在、オークランド大学の2 年生でコンピューターサイエンスを専攻しています。

 私は友達のお父さんに勧められて、2016 年の夏にイギリスでのサマースクールに参加しました。その時、初めての海外での経験にショックを受け、自分も留学してみたいと思ったのがニュージーランドの中高校に入学したきっかけです。サマースクールでは日本で当り前ということが非常識だったり、日本ではあり得ない経験ができ、新しいことを学ぶということに対するモチベーションがすごく上がりました。例えば、自分が所属していた中学校は、地元でも歴史のある学校でしたが、授業はノートと筆記用具を使うのが定番でした。しかし、イギリスの学校では、タブレットをはじめとしたITを最大限に用いるのが当たり前であり、自分の意見を発表するのも当然と考えられています。それはニュージーランドの学校でも同じでした。

 ニュージーランドには右も左もわからない状態で到着した為、当初は英語を話すこともままならず、とても苦労したのを今も鮮明に覚えています。留学開始当初は、言葉が話せないなか友達を作るのが難しく、コミュニケーション不足によって先生から注意を受けたり、ホームシックになったりと大変でした。なかには英語が話せないためにトラブルに巻き込まれたこともありました。私が在学した学校(*注St Paul’s Collegiate School)は10 年生の半分の期間を山のなかにあるキャンパスで過ごすTihoi と呼ばれる特別プログラムがありました。一般の教科の学習もしますが、アウトドア活動に多くの時間を費やします。日常生活の様々なことが当番制で決まっており、本来の当番の学生が忘れていたり、さぼったりしたことを英語力がない自分のせいになったりと、災いが降りかかり、悔しい思いをしたこともありました。また留学生は殆どおらず、意思疎通を図るのが難しく、心が折れそうになることも複数回あり、留学をやめようと何度も思いました。留学の全てが楽しい記憶というわけではありません。

 しかし、こちらで時間を過ごしコミュニケーションが図れるようになるにつれ、留学が充実した日々へと変わってゆき、今では毎日、大学へ行くのがとても楽しい、と心から思います。大学のキャンパスは自由な雰囲気に溢れ、特段、先生に指示されたり、課題をやりなさい、と言われることはありません。全て自己責任ですが、その自由で好きなことができる環境が心地よいです。プログラミングの学習で、チューターと呼ばれる指南役の学生と頻繁に言葉を交わし、今までの自分とは交流が無かった学生グループとも親しくなりました。こちらは18 才が成人年齢ですので、18 才の誕生日はホストファミリーが盛大に祝ってくれました。コロナ禍で日本へ帰国することが叶わないなか、とても印象に残った出来事のひとつです。

 留学は私にとって人生を変える大きな第一歩になりました。また留学を通して色々な機会に恵まれ、世界各国からの色々な人と交流することができ、とても貴重な経験になっています。世界ではまだコロナウイルスの収束が見通せず、入国制限や規制などが続いています。大変な状況ではありますが、これから留学を考えている方は是非前向きに検討してみてはいかがでしょうか?百聞は一見に如かず、経験から学ぶことは本当に多く、人生を変えるきっかけになるかも知れません。

*St Paul‘s Collegiate School  ハミルトン(北島)にある私立寮制学校で、Year 9 & 10 は男子のみ、Year11~13は男女共学です。Tihoi Venture School は、タウポ郊外にあり18 週間にわたり自然に戻って生活するアウトドアアドベンチャープログラムです。学校の指針は“冒険を通じて個性の成長”に基盤を置いています。

(写真:右)


アメリカのボーディングスクールに4年間通ったK.O.さん

学校名 Fountain Valley School of Colorado
学校の種類 ボーディングスクール
滞在国 アメリカ コロラド州
滞在開始学年 9年生
滞在期間 4年間
滞在方法

カンボジアでのサービスプロジェクトに参加して

 私は、現在コロラド州にあるFountainValley School に通っています。 高校生活が残すところ1 年となった夏休み。大学進学への準備だけではなく有意義な時間を過ごしたいと思い、民間団体主催の高校生ボランティアプログラムに参加しました。多数の選択肢がある中、友人がいることで親近感があるカンボジアで、子供たちに英語を教えるプログラムを選択しました。

 空港に着いた途端、湿度と温度の高さに驚き、これからこの過酷な気候の中活動するのが少し不安になりましたが、現地のコーディネーターの方が親近感の持てる女性で、日本のことを色々と質問してくれたりしながら、私達の不安な気持ちを解きほぐしてくれました。初日のWelcome Dinner ではタランチュラやコオロギの料理が出てきました。コーディネーターの人に、“これはカルシウムだからもっと食べた方が良い”と推されましたが、足だけ食べるだけで精一杯でした。

 このプログラムに参加する以前、カンボジアは、発展途上国で治安もあまり良くない国という印象でした。実際のカンボジアは、都市のプノンペン近くはイオンやスタバなどもある近代都市でしたが、車で20 分も走れば未舗装の道路となり、裸足で歩く子供の姿を多く見かけ、また住居はほとんどが、高床式住居で、家畜を住居スペースの下に飼っている家が多く驚きました。学校へは河を渡らなければいけませんが、橋が整備されていないため、毎日船に乗らなければなりませんでした。このような環境の中でも、生徒たちはとてもフレンドリーで明るく、積極的に質問して来ました。クメール語と英語でのコミュニケーションは、とても難しかったですが、大繩飛びや折り紙を一緒にしているうちに次第にコミュニケーションが取れるようになり、数名の生徒が自分の名前を呼んでくれ た時はとても嬉しかったです。

 平日は毎日午前中英語を教え、午後は壁塗り活動をするのが私たちの主なボランティアワークでした。1 年生から6 年生まで1 学年1 クラス編成で、しかも、ひとクラスの人数も数十人なので、学年を超えて皆仲良く遊んでいました。クラスの中で英語力が異なる生徒達に、限られた時間の中で、どうやったら生徒達が退屈せず、効率良く英語を学べるかを他のグループのメンバーとも何度も話し合いを重ねました。お互いの言語がわからない中教えるのはとても難しかったですが、最終日には生徒達は皆に手紙を書いてくれて、飴やスノードーム、折り紙をプレゼントしてくれました。午後は色褪せていた校舎を真新しい綺麗なペイントを使って塗り直すという途方もない作業でしたが、授業が終わった子供達がお手伝いしてくれたお陰で、2 週間後には校舎全体が新築同様になりました。

 子供全員が学校に行けるのが当たり前の日本ですが、カンボジアではそうではなく、アンコールワットなどの有名な観光地ではお土産を観光客に必死に売っている子を何人も見ました。また、学校には電気は通ってないので、クーラーはありません。いくら屋根があるといっても、外は毎日38 度の世界で、教室にあるのは2 台の扇風機だけ。一つ20 ドルの扇風機が購入できない過酷な環境下でもみんな文句ひとつ言わず授業を受けていました。

 小学校では多くの生徒が日本からの寄付と思われるくまモンなどのキャラクター物の洋服、公文式のカバン、日本製の自転車などを使っていました。今回発展途上国の貧しさを初めて自分の目で見、また、実際に子供達が他国からの寄付の品物を使っている場面に何度も遭遇し、寄付の大切さを実感しました。

 今回参加した私たちのグループだけではこの状況を解決するには微力すぎるかもしれませんが、寄付をアメリカの学校でお願いすればもっと多くの人が支援してくれると思い、夏休み後学校で募金活動をしました。自分にできることはほんのわずかなことですが、こうした発展途上国の状況を多くの人に伝え、小さな活動を続けて行くことが、発展途上国を支えて行く力になると強く感じ、今後も機会があれば、支援活動を続けて行こうと思いました。


スイスのボーディングスクールに5年間通ったK.T.さん

学校名 Aiglon College
学校の種類 ボーディングスクール
滞在国 スイス
滞在開始学年 中学3年生
滞在期間 5年間
滞在方法

カンボジアへの旅

 Aiglon Collegeでは教育の一環として様々な奉仕活動旅行を提供しています。行き先はケニア、コスタリカ、ロシア、カンボジアやタイです。私を含む21名の学生が昨年10月カンボジアのBeng Maelea村を訪問しました。先ず私達はAngkor小児病院に寄付を届けに行きました。また、地元の学校で図書室を立てるためのレンガ造り、雨水を貯める大型ポット作りや植林を行いました。更にこどもたちへの英語レッスンを通して交流を深めました。  気温30度以上と高湿度の中で、土を練り、自然乾燥させて一つ一つレンガやポットを作る作業は心身ともに厳しかったです。宿泊は高床式の小屋のため夜間は虫に襲われ、あっという間に全身見たこともない発疹が表れ、痒みとの闘いが続きました。食事はお米、鶏、焼きそば等馴染のあるものでしたが、大きなタランチュラの素揚げが給仕された時には驚き、足の部分のみ恐る恐る食しました。  水道、電気、機械類がない村では道路も舗装されていません。普段テレビや雑誌では知っているものの、こんなに発展していない所があるのか?と現実を見ることで衝撃を受けました。そして、自分が日本に生まれどれほど恵まれた生活をしているのかを痛感しました。  カンボジアに出発する前、私たちはスイスで多くの準備活動を行いました。その一つが資金集めです。カンボジアの学校や病院への寄付金を集めるため、私は日本のカップラーメンを校内で販売し、資金集めをしました。パンケーキをつくり販売する者、学校に募金箱を設置して募金活動をする者もありました。これらの資金はカンボジアの学校施設改善や自転車購入、集落内のシャワー設置のために使われました。寄付金は一人一人の感情に沿って渡されるものでなく、受け取り側が求めているものに使うべきだというディスカッションで、ボランティアの意義も学びました。  更にカンボジアの学生に英語を教える練習を、Aiglon Collegeの初等部で実際に授業をし、子どもたちにわかりやすい教材作りにも励みました。  カンボジアの旅を終え、奉仕活動は確かに厳しかったものの再度行きたいという思いが湧き起こります。なぜでしょうか?それは出会った人々の優しさに触れ、周りの世界を知らないことは世間知らずだ、ということを実感したからです。日本に帰国後、水道水を使用するとき、直ちに蛇口を閉める意識が芽生えました。小さなことですが「当たり前と思っていたことがそうではない」と、身を以て認識したことが旅の収穫です。

伝統行事EX

 Aiglon Collegeでは奉仕活動に加え、EX(Expedition)と呼ばれる必須のアウトドア活動があります。キャンパスが標高1500メートルのスキーリゾート地にあるため、スキー、スノーボード、登山、キャンプ、オリエンテーリング、カヤッキング、ロッククライミング、アイスクライミング等、大自然の中に放り出され心身を鍛錬する活動が盛んです。これらのアクティビティは一見、個人プレイのようですが実はチームワークやリーダーシップが求められます。というのは大自然の環境では天候やアクシデントを含め不測の事態が起こり、参加者はいわば運命共同体として冒険をするからです。オリエンテーリングではチームに渡された少ない持参品を持ち、学生だけで既定の条件をクリアする一泊二日の旅をしました。途中、2日分のマッチを一度で使ってしまい食事を作れなくなったり、行き先ルートを決めるのに諍いが起こったりと一つ間違えば命の危険さえある環境で、全員が助け合い一丸となるコミュニケーションスキルが必須でした。何度もEXを繰り返し、自分が思う限界値を超えることで、大きな自信を得、強い絆をつくります。  “Going on EX”はAiglon Collegの伝統行事であり、「チャレンジ」を意味します。世界60か国から集まる仲間と大自然の中で寝食共にすることで、強いチームワークやリーダーシップスキルを磨き、スイスでの学校生活をより有意義にしたいと思います。

*写真は、EX中に牛小屋で一夜を明かした時の写真です


カナダのボーディングスクールに5年間通ったA.U.さん

学校名 Balmoral Hall School
学校の種類 ボーディングスクール
滞在国 カナダ
滞在開始学年 中学1年生
滞在期間 5年間
滞在方法

自信の可能性を見つけたカナダ留学

私はカナダのマニトバ州、ウィニペグ市にあるBalmoral Hall School に中学一年生から通っています。今までの5 年間半を振り返ってみると、とても充実した生活、そして一生味わえないような経験をすることが出来ました。しかしそれと同時に親元を離れて上手に暮らす事の大変さや、慣れて来てからの苦悩もありました。そしてその経験を通して私自身とても良い意味で変われたと思います。 私が留学生活を通して身に付けた能力は主に2 つあります。

1)向上心の芽生え

まず一つは悔しいという思いから芽生えた向上心です。私は元々中学一年生だったということもあり、あまり将来の夢について深く考えておらず、ただ英語が喋れるようになりたい!という意思のみで留学を始めました。留学当初はほぼ英語が話せず(who, what, when の違いもよく分かっていませんでした…笑)、授業についていくので精一杯だったのですが、ある日から英語力向上のために、クラスで行われるディスカッションに参加しようと思い、つたない英語で参加するようにしていました。しかし先生に、私の英語は私語と捉えられてしまい、静かにするように、と怒られてしまいました。その時、私は自分の英語力の無さに改めて気付かされました。悔しいと思うと同時に、負けず嫌いな自分の性格上、その悔しいという感情は私がもっと英語を話せるようになりたいという向上心に変わりました。そして綺麗な発音の練習や単語量を増やす勉強を続けるようになり、一年後、同じ先生に発音とディスカッションへの参加を褒められた時はとても嬉しく思い、同時にあの時の悔しさとその後の向上心は忘れてはいけないと思いました。これからも悔しいと思う気持ちを大事に、努力する事を辞めずに成長したいと思っています。

2)自らを信じること、将来へ向けて

二つ目は自分自身の可能性を見つけ、それを信じる力です。私は留学前、とにかく勉強が苦手で、小学校の先生に留学に行く事も心配されていた程でした。カナダに来ても勉強への苦手意識はあまり薄れず、英語もままならなかったため、とりあえず言われた事だけをやるようにしていました。その頃は自分自身の得意分野や自分の可能性があまり分からず、よく自己紹介で聞かれるあなたってどんな人?という質問に答えるのが苦手でした。中学三年生になった頃、数学を教わっていた先生に、「貴方はとても好奇心が強いし、好きなものに集中できるから理科系なんか興味あったら楽しいんじゃない?」と言われ、初めて自分自身の事を理解しようと思うきっかけが出来ました。先生の言葉と、自分を客観的に見ようと思った結果、自分の好奇心は勉強に活かせるかもしれないと思い、勝手に苦手だと思っていた理科系のクラスに興味が湧きました。そして前にクラスで行った解剖が好きだったから、という理由のみで高校一年生になってしっかりと理科に取り組むようになりました。もちろん難しいと思う事が多かったのですが、私の好きなものに集中できる力、のおかげかあまり苦ではありませんでした。そして、私は、数学の先生が仰ってくださった、自分自身の可能性を大事にしたいと思ったので、好奇心を忘れないように、少しでも気になった事があれば全て先生に聞くようにしていました。高校三年生の今は、医学部を目指したいと思えるほど理系科目が好きになりました。小、中学生の時の私からすると思いもしなかった夢なので、自分の可能性に気づかせてくださった先生にはとても感謝しています。

3)コロナ禍の今思うこと

そして2020 年は全世界の人にとって、とても衝撃的で「普通」とは全く違う一年になったと思います。私も例外ではなく、色々な影響を受けました。私はこのウイルスによって失われたもの、そして逆に新しい考えも得られたと思います。私が思うこのコロナウイルスで失ったものは、人と人の関わりだと思います。インターネットが発展した今、リモート授業、そしてテレビ電話などで人と関わる事は難しくありません。しかしやはり画面越しでは、その場の空気感があまり伝わらなかったりして、実際に会って話すよりも人と人の関係を深めるには良いツールではないなと思います。もちろんインターネットは使い方によって私達の生活に必要不可欠である事は間違い無いのですが、やはり人が成長するにはバーチャルではなく、直接関わる事が重要だという事をオンライン授業などを通して感じました。そしてこのコロナウイルスで得た私の新しい考えは、これからの世界は世界が手を結び、協力してウイルスと戦う事が重要、という事です。ウイルスは歴史を変えるということはよく言われていますが、コロナウイルスをきっかけに、世界が良い方向に変わるといいなと思います。WHO や国際機関などがいち早く正しい情報を世界に発信したり、国同士が情報を秘密にしたりせず、世界が連携して、いつまたやってくるか分からない未知のウイルスに備える事が重要だと思いました。


アメリカのボーディングスクールに4年間通ったK.T.さん

学校名 Ojai Valley School
学校の種類 ボーディングスクール
滞在国 アメリカ カリフォルニア州
滞在開始学年 9年生
滞在期間 4年間
滞在方法

大火事災害を乗り越えて

留学を始めて4ヶ月が経った2017年の12月、私の通うオーハイバレー・スクールはカリフォルニアで発生した大規模な山林火災により被災しました。

寮が燃えてしまった…

 期末テストを1週間後に控えた頃、遠く8マイル先(約11キロ)先で起きている山火事に「どうせ学校の方まで来ないだろう。それよりテストの勉強をしなくちゃ」と火事よりも試験の方が気になっていました。避難が決まっても「どうせ1日で帰ってこられる」と、私は洗面用具、寝袋、パスポート、1日分の着替えを持ち、足元はビーチサンダルでした。しかし、夜が明け外に出てみると、あたり一面煙で呼吸が困難なほどで白い灰が雪のように降っていました。そして、涙ぐんだ校長先生から告げられたのは、“女子寮全焼“。  「寮が燃えてしまった、全部なくなってしまった」と泣きながら電話で母に伝えると、母は「みんな無事?全部燃えてしまったかもしれないけれど、命が助かったんだから大丈夫。カンナは泣いてる場合じゃないよ、いまこそみんなを励ましてあげなさい。それがあなたの役目だよ!」と言われ、そうだ、生きていることに勝るものはない、と感じた私は、同じ寮にいたみんなに「生きてるんだから大丈夫!」泣き笑いしながら、声をかけました。その後たくさんの人たちのサポートを受けて、無事に帰国。日が経つ毎にどうすれば、自分の経験した自然災害の恐ろしさを伝え、何が学校に貢献できるだろうかと考えました。エディクムの柏倉さんの「カンナちゃん、チャリティをやってみては」というアドバイスもいただき、1月6日、学校に戻る前日、私はチャリティイベントを開催しました。

チャリティーイベント実施!

 協力してくださるレストランを見つけ、ちらしを作り、皆でカレーライスを食べるというチャリティ・ランチイベントを企画。同級生や友達、FBでチャリティを知った留学生をもつお母さんやこれから留学を考えている高校生など、約50人の方が集まってくださいました。私たちは学校の紹介や被害の様子を来ていただいた方々に懸命にお話ししました。私の考えた小さなイベントにたくさんの方々が応援してくださり、涙が出るほど嬉しかったです。  そして、今年の夏休みにはチャリティバザーとして再び学校への支援イベントを開催しました。帰国していた同じ学校に通う日本人学生や中国人の学生が手伝いに来てくれて、ホットドックのランチボックスやかき氷をみんなで作り、力を合わせてやりました。  バザーにもたくさんの品々をいただき、様々な方のご協力で募金額も想像を上回るほどでした。何よりも「頑張ってね!」の声援にただただ感謝しました。

挑戦する気持ち、そして行動力

 「どんなに大変なことがあっても、まず行動しなければ何も始まらない。」  自分のできることを精一杯にすること、そして誰かのために何を始めることが私自身にとってどれほどやりがいのあることなのか、今回のチャリティ・イベントを通して実感することができました。日本にいた頃は自分の良いところや得意なことがうまく引き出せず、失敗ばかりの時もありました。アメリカに留学して自分の中に沢山の引き出しがあることを、先生方や様々な国から集まる同級生とのコミュニケーションが気づかせてくれました。ありのままの自分を表現し、活かせる場所を見つけることは簡単なことではないかもしれません。でも、挑戦することはどんな時でも、誰にでもできます。  新しい国で暮らす私にとって、諦めずに挑戦し続ける気持ちが、今までの人生になかった一番の原動力になっています。


山火事で燃えてしまった学校


カナダのボーディングスクールに3年間通ったM.S. さん

学校名 King’s-Edgehill School
学校の種類 ボーディングスクール
滞在国 カナダ
滞在開始学年 高校1年生
滞在期間 3年間
滞在方法

留学することをきめた経緯

私は小学校の時から同じ小中高一貫校に通っていたので、自分の視野や見聞の狭さをなんとかするため、が一番最初の留学の考えでした。違う場所に行って、いろいろな人と会ってみたいと思い、高校1年生のときに自分の高校主催のカナダ3週間研修に参加しました。そのときに、カナダという国の美しさや欧米式の授業の魅力にとりつかれ、研修終了後すぐに留学を決意しました。学校を選ぶ際には、日本からの行きやすさ、インターナショナル生の人数や、国籍別割合、また制服の見た目、などを参考にしました。私が3年間通ったKing’sは最初、滑り止め、という感じだったのですが、実際に学校を見学した際、学校全体の温かい雰囲気や、先生たちや他の生徒の方がたくさん話しかけてくださり、自分がこの雰囲気、こんな学校にいたい!と強く感じたため、個人的に女子の制服は今ひとつでしたが、King’sに入ることを決めました。当時の英語力は、というと、私立一貫校に通っていたため文法はできるけれども、会話はそこまででもありませんでした。そのため、留学を決めて、日本の高校を退学してからは、EDICMさんに紹介された駿台で準備をしたり、大手英会話教室などで少しでも英語を使うような生活を心がけました。

留学中に楽しかったこと 辛かったこと

留学最初の1年は、新しい環境に馴染むのがとても大変でした。英語力の問題もあったのかもしれませんが、女子校出身であり、日本にいる間ずっと小学校からの友人に囲まれてきた私にとって、右も左もわからない誰も知っている人がいない共学の高校に飛び込むのは本当に大変なことでした。自分の思い描いていた留学生活とかけ離れた実際の生活に対し泣き悩むこともあり、何度も学校を辞めたいと思いましたが、それでもカナダでの友人たちの支えによってなんとか3年間やってこれたと思っています。何度頼んでも母国語でしか喋ってくれないクラスメイトたちに何度涙したことかわかりませんが、その一方で、いつでも私を支えてくれる世界の様々なところからの友人が出来ました。楽しかったことについては、ここに書ききれないほどです。日本で弾いていたベースを通して、学校のミュージカルに3年間参加させていただいたり、初心者にも関わらずバドミントンの大会に燃えたり、夜中に寮の友達とマットレスを持ちだして全員で廊下で寝たり、ただネクタイがかっこいいから、という理由だけで友達と一緒にStewardと呼ばれる生徒内での役職についてみたり、とたくさん泣くこともありましたが、それ以上に充実した日々を送りました。3年間を通して出来た友人は本当に一生ものだと思います。しかし、一番印象深いのは、yearbookと呼ばれる卒業アルバムの制作委員長をさせていただいたことです。アルバムの表紙作成から、写真選定、さらにはカナダ人の先生が書いた文章の校閲を日本人の私がしたり、と本当にアルバム作り全てにかかわらせていただきました。

3年間を通し、私自身大きく変わったな、と思う反面、家族には、本当にみほは昔から変わらない、と言われることもあり、自分が変わったのか正直よくわからないでいます。昔から重度の神経質かつ完璧主義者だった私にとって、理想と違った留学生活を受け入れるのは最初とても大変でした。しかし、留学3年間を通して、まあちょっと思ってたのとは違うけどいいか、という前向きかつ気楽な考え方が多少なりとも身についたのではないかと思います。「最初思っていたようにならなくても、結局どうにかうまくいく」という経験を何度もカナダでするうちに、少しずつですがおおらかになれたと思います。

今後の進学プラン

高校卒業後、私はカナダの大学に進学することを決めました。日本で就職したいということや、日本での大学生活の華々しさもあり、日本で進学するかとても迷いましたが、欧米式の、少人数制かつ生徒たちが自主的に進める授業、が私にはとても合っていたため、カナダの大学の中でも、一教授あたりの生徒数がカナダで最も低い、と言われ、さらに場所も日本から通いやすい、バンクーバーにあるブリティッシュコロンビア大学で経済を学ぶことにしました。今まで通っていた高校よりも、遥かに大きく、人数も増えるため、また色々な人と出会えることがとても楽しみです。また高校でスペイン語を2年間やってきたため、大学留学中にどこかスペイン語圏の国に留学したいと思っています。将来についてですが、あまりまだはっきりとは決まっていません。ただ、人と関わることが好きなので、自分の好きな分野で人と関われるような仕事をしたいと思います。

3年間はとてもあっという間でしたが、色々大変なこともありました。それでも無事にやってこれたのは日本から支えてくださったエディクムの皆さんと家族のおかげです。ありがとうございました!






スイスのボーディングスクールに3年間通ったR.F. さん

学校名 Brillantmont International School
学校の種類 ボーディングスクール(共学)
滞在国 スイス
滞在開始学年 高校1年生
滞在期間 3年間
滞在方法

留学のきっかけ

私は、スイス西部にあるのどかな文教都市、ローザンヌにあるBrillantmont International Schoolに3年間留学しました。この3年間は、言語の習得だけでなく、様々な面で実りの多い日々でした。

学校を選んだ理由

姉は大学から、兄は高校から海外に留学していた為、私はヨーロッパやアメリカに旅行する機会がありました。海外の生活を見て、現地の人と交流する中で、私も英語を使って他国の人の考えや文化を知りたいと思うようになりました。中学時代にサマースクールやEDICMの留学説明会等に参加して、高校からの海外留学に興味を持ちました。実際に、何校か学校見学をしているうちに、アルプスの美しい自然に囲まれた素晴らしい学校環境を持つBrillantmontに出会いました。

Brillantmontは、スイスの学校の中でも街に近く、規模の小さい学校です。そのため、一つの授業の生徒数も日本にいた時と比べ格段に少なく、家庭的な雰囲気の中で先生方も生徒一人一人をしっかりと見てくれました。寮の部屋もとても素敵で、窓から見えるレマン湖やエビアンの山々は、どこから眺めるより綺麗でした。私も大変なことや辛いことがあると、この景色に慰められたことが度々ありました。

入学した当初

留学当初は、慣れない寮生活や言葉の壁など苦労する場面も数多くありました。さらに、フランス語が必須だったため、英語の勉強だけでなく、フランス語も学ばなければならないことが大変でした。次第に学校に慣れてくると、他国から来ている友人たちは、積極的に自分から授業に参加している姿勢に気づきました。私も彼らのように自分から意見を述べ、授業に関わっていくと新しい世界が開けてきました。授業だけではなく、クラブ活動や普段の生活でも、自分から周りの友人たちに声かけするようになると、友人の輪が広がりました。

学校の雰囲気・学校生活

そうした中で、留学2年目に、生徒会活動に関わることになりました。Brillantmontは、インターナショナル・スクールなので、生徒会の委員も国籍は様々です。生徒同士や生徒と先生のコミュニケーションを円滑に進めるには、それぞれの性格や文化を理解する必要があると感じました。生徒会活動に参加したことで、英語力も養われ、広い視野を持てるようになった気がします。さらに、最終学年には、学校のHabitatfor Humanity(発展途上国において、住居支援をすることで自立を促す活動)に参加しました。この年の支援地は、日本にいる時には、馴染みのない国、アフリカのボツワナ共和国だったので、特に興味を覚えました。支援活動そのものはもちろん、参加メンバー20人の国籍は様々だったため、非常に思い出深い経験になりました。高校生20人が建てる家というと、簡単な小屋を想像すると思いますが、実際はブロック作りの30平方メートルほどの家です。水道も通っていないところでのかなりの肉体労働で、私にとっては想像以上に大変でした。

しかし、皆で一つのことを成し遂げる喜びは、その大変さを大きく超えるものでした。Habitat for Humanityの活動にみられるように、Brillantmontでは、世界中から来た友人達と日本では出来ない経験をすることが出来ました。週末には、スイスならではの様々なアクティビティーがありました。冬のスキー合宿では、アルプスを前にして言葉に出来ないほど素晴らしい景色の中で、スキーを楽しみました。ベルンやローザンヌのクリスマスマーケットも、この時期になると思い出されます。春や秋には、サイクリングやハイキングなど、スイスの自然を満喫しました。

今後について

スイスのインターナショナル・スクールに留学して良かった点は、他にもたくさんあります。まず、スイスはもちろん、イギリス、フランス、ドイツ、スペイン、ロシア、メキシコ、アメリカ、ブラジル、台湾、韓国など世界中から来た友人に出会えたことです。楽しいことや大変なことを共有することによって、国や言語が違っても、互いに通じ合える仲間が出来ました。日本に帰国してからも、連絡を取り合って、近いうちにブラジルにいる友人に会いに行こうと思っています。

さらに、私にとって、フランス語やフランス文化を学べたことがスイス留学の大きな収穫です。Brilllantmontでは、フランス語の授業が毎日あったので、日常会話には困らないようになりました。言葉を話すことによって、その国の生活の中に入っていけるような気がしました。ローザンヌはフランスに近い地域なので、フランスに行く機会も多く、フランスやスイスを初めとするフランス語圏の国々についてもっと学びたいと思うようになりました。それと共に、3年間の留学によって日本人としての知識を深めなければならないと感じました。そこで、卒業後は日本に帰国し、日本の大学で学ぶことにしました。将来は、フランスやスイスに関係する仕事に就けたらと考えています。卒業の時には校長先生から「留学当初は“baby”だったけれど、今は”lady”になったね」と言われました。スイスの3年間は、私にとって貴重な時間を過ごすことが出来ました。この間、支えって下さったエディクムの皆さん、ありがとうございました。



アメリカのジュニアボーディングスクールに3年間通ったS.R. くん

学校名 The Fessenden School
学校の種類 ボーディングスクール(男子)
滞在国 アメリカ
滞在開始学年 小学校6年生
滞在期間 4年間
滞在方法

アメリカの学校とは?

アメリカの学校は、とても自由で学校のクラスに生徒が10人ぐらいしかいないので、授業中に手を挙げる機会が増えました。それに、いろいろな国の人たちと一緒に授業を受けることが出来てとても楽しいし、新しい友達がたくさん出来ました。とくに僕の行っているFessenden Schoolは、たくさんの外国の生徒がいます。僕の学校のESLのクラスでは、一人の先生が日本に行ったことがあり、日本語をしゃべれるのでいろいろな時に助けてくれます。

寮のこと

Fessendenには7つの寮があり、1つの寮にだいたい14人ぐらい生徒がいて、2人の9年生のリーダーと、先生の家族が2家族住んでいます。7つの寮のうち2つが9年生だけの寮です。9年生の寮以外のほとんどの寮は部屋にはドアがなく、カーテンが設置してあります。1つの寮では4つの部屋が2人用で、6つの部屋が1人用です。寮に住んでいることでたくさん友達も増えるし、英語も上達すると思います。

学校の先生

Fessendenの学校には、たくさんの先生がいて、ほとんどの先生が学校の敷地内に住んでいます。クラスでは、先生がよく分かりやすいように教えてくれます。ほとんどの先生は、とても楽しくてよい先生です。クラスの後には、毎日スポーツの時間があり、先生たちはスポーツのコーチへと替わり、真剣に僕達にスポーツを教えてくれます。休日や週末には、先生たちがいろいろな所へ連れて行ってくれます。僕の行った旅行の中でベスト3は、先生たちの家で映画をみるトリップ、レッドソックスの野球の試合か、バスケットの試合を見に行くトリップ、あとショッピングのトリップです。

僕の周りで起きた事件!

この1年間僕の周りでいろいろな事件が起こりました。ある日の夜、僕は、すごくよく寝ていました。しかし、僕の耳もとでガサガサした音がしたのでベッドの下を見てみたら、誰かが僕のベッドの下に隠れていたので「誰だ!」と言ったら、「イッヒヒー」といって逃げていきました。その後僕は、ずっと起きていて深夜の3時にまた同じ人が部屋に入ってきて、僕のコーラをつかんでいたので、近くにあった空のボトルを投げつけたら、コーラを置いて逃げていきました。結局、僕はほとんど眠れませんでした。

楽しかったこと

この一年間でたくさんの友達ができ、日本ではなかなか出来ない経験をして、楽しい思い出ができました。週末の旅行は、いろいろな事が出来て楽しかったです。外国の友達が出来るというのもとても貴重なことだと思います。今年は、すごく楽しい一年間が送れてうれしいです。ただ今、僕が思っていることの一つに、今まで僕をふくめて4人いた日本人のうち今年1人いなくなってしまい、来年には3人になってしまうので、僕は新しく日本人の学生が来るのを待っています。



アメリカのボーディングスクールに3年間通ったK.S. さん

学校名 The Hun School of Princeton
学校の種類 ボーディングスクール(共学)
滞在国 アメリカ ニュージャージー州
滞在開始学年 中学校3年生
滞在期間 4年間
滞在方法

The Hun School of Princetonに留学して2年が経ち、この秋、3年目を迎えようとしています。この2年間、大学受験に向け、塾に通い、考え方が合わない学校で悔しい思いをしていた中学生時代には想像もしていなかった毎日を送っています。留学ということを考え始めた頃、「アメリカに行っていろんなことを学ぶんだ!」という期待で胸をふくらませていました。学校が始まり、何もかも初めて経験することばかりで戸惑うことも多く、何をするにしても周りの何倍も時間がかかってしまう自分に苛立ち、また情けなく思う日々もありました。1年目を終えた頃、漸くアメリカでの寮生活、自分の状況を楽しめることができるようになりました。

海外のサマースクールへの参加

1年目を終え、今まで参加してきた高校主催のサマースクールとは違い、大学キャンパスで行われるSummer Discovery @ Georgetown Universityに参加しました。スケジュールに従って行動するサマースクールとは違い、自分の時間をどのように使うのかをしっかり考える必要がありました。大変な分、よりいろんなことに挑戦、参加する機会が多かったように感じます。

ベトナムのボランティアに参加

2年目の春休みには、ベトナムで行われたCommunity Service Tripに参加しました。数日間ホーチミンに滞在し、ベトナムの歴史や人々の街での暮らしについて学び、このTripのメインであるボランティアをするためにメコン川流域にある小さな町に向かいました。現地ではホームステイをする予定でしたが、学校の許可が下りず、結局少し離れた街のホテルから片道2時間かけて現地に通いました。私たちの仕事は、Ms. Naというベッドから落ち半身不随になり地域で一番貧しい生活を強いられているおばあさんとその家族のために雨期を凌げる新しい家を建てることでした。何もない平らな土地に、一から家を建てるのは大変でしたが、地域の人たちの協力もあり、1週間という短い期間で家を完成させることができました。

「孫が地面をハイハイできる家に住む」というおばあさんの長年の夢が叶い、泣いて喜んでくださったことは一生忘れないことだと思います。最後の日、地域の子供たちにアメリカから持ってきた筆記用具をプレゼントしました。子供たちの勉強をしたいという強い思いにボランティアに行った私たちの方が勇気付けられました。


ベトナムの子供たちと


アメリカのボーディングスクールに2年間通ったM.T. くん

学校名 Northfield Mount Hermon School
学校の種類 ボーディングスクール(男子)
滞在国 アメリカ マサチューセッツ州
滞在開始学年 9年生
滞在期間 2年間
滞在方法

ぼくのアメリカ留学1年目はあっという間に過ぎてしまった。自分のfreshman yearが終わってしまったことにまだ実感というものがもててない。ただ、本当にいろいろなことを学んだ1年だったと思う。かけがえのない友たちとの出会い、寮生活、全く違う勉強法、スポーツetc. 楽しかったこと、落ち込んだことなどいろいろあった。すべてをここに書ききることはできないので、かいつまんで書かせていただく。

学校の紹介

ぼくが留学中の学校は、Northfield Mount Hermon(以後NMH)という、マサチューセッツ州の山の中にある学校。キャンパスがとても広く、自然に囲まれていることが魅力だ。ぼくは面接で訪れた際、『この学校に入りたい』と強く思った。TOEFLとSSATの点数が非常に低かったぼくは、受かることさえないと思っていたが、奇跡的にぼくは受かった。

ぼくがNMHに着いたのは、まだ暑さの残る8月の終わりだった。Registration にいくと、そこにはたくさんのアジア人がいた。しかも皆親と一緒に来ていた。親がいないのはぼく位のものだった。ぼくは恐る恐る長い列に並んだ。自分の番を待っていると、後ろから話しかけてきた親子がいた。しかも日本語で、だ。よく見ると、見覚えがある。それは面接の時たまたま一緒だった親子だった。それがぼくとYとの出会いだった。

Yは生粋の中国人なのだが、日本で生まれたため、日人の名前をもっている。だが日本語はほとんど話せない(中国語はぺらぺらである)。Yとぼくは、部屋が近かったり、取っている授業が同じだったしたため、すごく親しくなった。週末に中華の出前をとったり、女の子の話をしたり、テニスをしたりして過ごした。時には、他の数人の友だちとホラー映画をみたり、ゲームをしたりした。来年からはそれぞれ別の寮に入るが、こんな関係を続けられたらいいと思っている。

授業について

学校の勉強は簡単ではなかった。毎日宿題が出るし、授業にも集中していないとついていくことができない(単に自分の英語レベルの問題かもしれないが)。特にぼくは、Essay(作文のようなもの)に苦労した。ESLのクラスではEssayがよく出されるのだが、はじめの頃、ぼくはC (65点くらい)しかとれなかった。先生によれば、文法がめちゃくちゃだという。自分でも改善しようとしたが、どんなにあがいてもCランクから脱出することはできなかった。中間の成績はC+ (70%)だった。ぼくは家族やadvisor(担任のようなもの)と話し合い、tutorをつけることにした。Tutorとは家庭教師のようなもので、週1で会い、essayの中にある文法の間違いなどを直してくれる。Tutorを受け始めたとたん、いままで気づかなかったようなシンプルな間違いにも気づき、修正することができた。Tutorをはじめてから、ぼくのessayの成績は、B-、B、B+と上がっていった。年度末にはA-も一回だけだが取った。うれしかった。

もう一つ勉強で言えば、毎週出される単語クイズにも苦しんだ。毎週30-60の単語が課題として出され、そのうち10個がランダムにテストに出る(先生はテストの5分前にどの単語を出すかを決めるため、山をはるのは相当難しい)。最初のころ、ぼくの単語テストの成績は散々たるものだった。ある日、ぼくは仲の良い女友達にそのことをぐちっていた。すると彼女はこういった。『あら〜そんなの簡単よ〜。紙に書いて2、3回読めばいいだけ〜。』ぼくはその方法を実践することにした。すると、その次の単語クイズで90点を取ってしまったのだ。これにはぼく自身たまげた。他にも、日本では絶対とれないような授業もある。例えば、ぼくがとっていたtheater production(演劇)の授業では、舞台の裏方ことについて学び、実際の劇で裏方をやったりする。とても楽しい授業だった。

アメリカでは勉強だけをしていればいいわけじゃない。スポーツもしなければいけない。アメリカではシーズン(秋、冬、春)ごとに違うスポーツをする。しかも誰でも好きなスポーツができるわけではない。ほとんどのスポーツにはトライアウト(選抜)があり、規定の人数だけがチームに残れる。サッカー、バスケ、テニスなどは半数ぐらいの人がチームに入ることができない。ぼくは、秋はサッカー(3軍)、冬は水泳(2軍)、春は野球(2軍)をした。運良くどのシーズンも自分のやりたいスポーツができた。どのチームの練習も、1-2時間とコンパクトで、そんなに厳しくもなかった。

ただ毎週のように試合やレースがあった。しかも2軍や3軍だと、練習場が寮から遠かったり、夕食の時間帯に練習があったりする。冬に水泳をやっていたときは、夕食の時間帯に練習があったため、練習後急いで着替え、食堂に向かい、料理を胃袋につめこんだ。それでもスポーツの時間はとても楽しかった。いろんな人と出会い、心身ともにみがくことができた。1軍に一つも入れてないのは悲しいことだが、来年、再来年と実力をあげ、すべてのスポーツで一軍に入れればと思っている。

寮生活について

寮生活でかかせないのが、ルームメートの存在である。ぼくのルームメートはHという台湾人だった。彼の評価は賛否両論だが、ぼくに言わせると、一緒に住んでみて悪いやつでは無かったと思う。ただ毎週のように自分の彼女と電話越しにけんかをするのには参ったが。彼はある日、2段ベットの上から落ちて記憶をなくしたという騒ぎまで起こした(真偽は定かではないが)。来年はそれぞれ違うルームメートをもち、寮も別々になる。来年からは勉強も難しくなるし、SATなどのことについても考えはじめなければいけない。まあ大変なこともいろいろあると思うけど、がんばって行きたいと思う。


仲良くなった友人Y、ルームメイトのHと。



アメリカのボーディングスクールに4年間通ったT.S. さん

学校名 Dana Hall School
学校の種類 ボーディングスクール (女子)
滞在国 アメリカ マサチューセッツ州
滞在開始学年 中学校3年生
滞在期間 4年間
滞在方法

留学のきっかけ

幼稚園時代の3年間、家族と一緒に、アメリカで過ごしました。そのため、私も両親も異文化で暮らすことには抵抗はなく、私自身もいつかは留学したいと常に思っていました。 そんな中、中学2年生の秋、母とのたわいもない話をしている時に留学の話題が出てき て、これだ!と思ったのがきっかけです。それから、母がいくつものエージェントに話を聞 きにいった中で出会ったのがエディクムでした。

学校を選んだ理由

私はDana Hallの他にも7校受験しました。通っていた中学校が女子校だったこともあり、 受験校も半分は女子校で、Dana Hallはそのリストの中で一番レベルの高い学校でした。2 月に両親と共に全ての受験校を訪問した上で気に入った学校を決めようとしましたが、ど の学校も特有の校風を感じさせるキャンパスで、その迫力に驚いたのを覚えています。

8校の中でも、Dana Hallは唯一ボストンから電車で30分、街にもすぐ歩いて行けるような立 地にあり、新しいスポーツセンターと女子校らしいきれいな校舎に魅力を感じました。 ESLのプログラムがない学校で、ついて行けるか不安はありましたが、 チャレンジして損はないと思い、Dana Hallに行くことを決意しました。

入学した当初

Dana Hallはセブンシスターズの一大学であり、 ヒラリー・クリントン女史の出身校でもあるウェズリー大学の付属女子高校として1889年に設立されました。 歴史と伝統のある学校で、キャンパスもアカデミックな雰囲気に包まれみんな大変勉強熱心でした。 ESLプログラムがなかったので、英語力が足りなかった私にとって最初の年は辛かったのを覚えています。

ずばり、私のサバイバル術のキーは時間をどれだけ有効に使うかでした。 当たり前のように聞こえるかもしれないですが、全てに関して自己管理をする、 注意してくれる親もいない留学生活を経験して初めてその重要さに気がついたのかもしれません。 そのため、勉学だけでなく、スポーツや課外活動も強いられる中で、 私は自分の趣味などのための時間も作ることができ、充実した4年間を過ごすことができました。

学校の雰囲気・学校生活

女子校だから男の子がいなくてつまらなそうと言う方もいますが、 女子校ならではの楽しみも数えきれないほど沢山ありました。 特に、Dana Hallには数多くの伝統行事があり、上級生と下級生の関わり合いが多く、 学校内の雰囲気もフレンドリーで、上級生と下級生の関係はまるで姉妹のようでした。

行事の中には、出席した人しか知り得ない、経験することができないものも多くあります。 中でも、印象に残ったのは、年度始めに行われる“Senior-Sophomore”です。 この伝統行事は、100年以上も受け継がれています。 元々はSenior( 12年生)がその頃は最も下の学年であったSophomore( 10年生)を新入生として歓迎する行事でした。 SeniorはひとりずつSophomoreに付き、行事当日の服装などをアレンジします。 Sophomoreは自分のSeniorが誰か知らされないまま、 当日まで自分がどのようなコスチュームを着せられるのか少しずつヒントを与えられます。 それは、パッケージだったりメモや手紙だったり、 Seniorは工夫を凝らしていきます。カウントダウンに入ると、 毎日お菓子がたくさん乗っかったポスターをもらい、 前日の夜にはSeniorがSophomoreに知られないように、 自宅の部屋を飾り付け、お菓子まみれにします。

当日はSophomoreの変装で学校中がハロウィーンみたいになり、 その晩、SeniorとSophomoreのみの晩餐会で相手が分かる、という伝統行事です。私がSophomoreの時、前日の夜、図書館から帰ってドアを開けようとしたところ、 風船や飾りで部屋がごった返していてびっくりしたのは忘れられません。 ちなみに、私は原始家族フリントストーンのベティ・ラブルになり、私のSophomoreはスーパーマリオになりました。

留学生活中に身についたこと

自律心、冒険心、愛国心、そして世界中の友達です。 一人でも容易に旅に出掛けられるようになりましたし、 美味しい食事や温かいお風呂、 家族での団らんなど前は当たり前のように思っていたことにも感謝できるようになりました。 さらに、日本人が私を含め2人しかいない中、立派に日本の代表になれるようにと自分への責任意識も高まりました。

やはり、最後にとても印象に残ったのが東日本大震災です。 まさか、留学している間これほどまでの大惨事が起こるとは想像すらしていませんでした。 震災当時、日本にいる家族ともしばらく連絡をとることができなくて取り乱していた中、 そこでも支えてくれたのは学校の友達と先生でした。 仲間に助けられながら、私はプレゼンテーションで日本の惨事を伝え、 募金活動と千羽鶴のプロジェクトを呼びかけました。 この経験で、未曾有の震災の中でも日本の強さに誇りを感じ、 家族や友達の存在の大きさも改めて実感することができました。

今後について

この4年間で英語力を培うことができたのはもちろんですが、 この留学経験は自分のしたい事や才能を気づかせてくれました。 学校では勉強だけでなく、絵画やスポーツを思いっきり楽しむことができたので、 今後も勉強や仕事だけでなく、絵画やダンス、ゴルフや旅行などの自分の趣味も両立していきたいです。 さらに、学校での暮らしの中で、様々な国の文化や慣習や思想に触れることができました。 これから大学で専攻する経済学の視点で、国々がどのように関連し合っているのか学ぶのも楽しみです。



アメリカのボーディングスクールに7年間通ったR.S.くん

学校名 The Fessenden School / St. Mark`s School
学校の種類 ボーディングスクール (男子)
滞在国 アメリカ マサチューセッツ州
滞在開始学年 小学校6年生
滞在期間 7年間
滞在方法

留学のきっかけ

小学校の低学年から北米のサマーキャンプに行っていたので、海外の学校で学ぶことには興味がありました。当時小学生の僕がどれほど真剣に留学について考えていたかは正確には覚えていません。このまま他の世界を知らずに、小学校から大学まで変わらない環境で育つことは寂しいなと思ったのは確かです。そこで夏休みだけでなく、海外の学校で学ぶ決断をしました。

学校を選んだ理由

東海岸のボーディングスクールに数校ほど出願しました。男子校で高いレベルの教育が受けられ、スポーツが強い学校に入学したかったため、それにマッチしたのが、Eaglebrook と The Fesseden School でした。両校とも魅力的で、環境も抜群でした。ただ、学校訪問のときに直感的に自分に合っていると思ったのがFessenden でした。学校のパンフレットやウェブサイト上の情報も学校選びの材料として重要ですが、やはりキャンパスに初めて踏み込んだ瞬間に自分がこの学校に合っているかは大体分かります。

入学した当初

ジュニアボーティングの良さは、やはり世界中から集まった生徒や現地の生徒と寮で共同生活出来ることです。僕のように6年生から海外の学校に通うことでもちろん言語力も向上しますが、他国の学生との寮生活を通じて得られる経験はまた特別だと思います。それは、若い時から現地の生徒と長い時間を過ごすことで、現地の文化や考え方も自然と身に付くからです。言語を純粋に学ぶことが留学の目的ではないので、留学するからには現地の文化やライフスタイルに染まる勢いで生活しないと全く意味がないと思っています。もちろん、日本人としてのアイデンティティを捨て、アメリカ人になれと言うのではありません。しかし、留学する理由を考えると、自分が日本に住み続けていただけでは得られない経験を積むことは一つの大きな動機となるはずです。そのためには、現地の生活習慣、考え方、文化、スポーツ、流行の音楽まで全てを吸収して、よりバラエティに富んだ人間になることが重要であり、それを可能にするのが留学、特に小学校からのジュニアボーティングだと思います。

高校進学について

受験時期は正直大変でした。秋にニューイングランド地方の学校を両親と共に10校以上訪問しました。1日に3校回った日もありました。また願書のエッセーを納得いくまで何度も書き直しました。その時に一番思い出すのは、出願数週間前の感謝祭の休みに、友達の家に一週間泊まり込み、一緒にエッセーを朝から晩まで書き続けたことです。9年生で最終学年ということもあり、冬休みまでは勉強がとても忙しく、学校ではなかなか願書が書き終わらず、結局休みの一週間で必死に書き終えました。多くのシニアボーディングから合格をいただき、最後は校長先生と面接をしたSt.Marks Schoolに進学しました。

高校生活

シニアボーディングではジュニアと比べはるかに自由時間があります。一日の大まかなスケジュールは決まっていますが、時間の使い方は自分次第です。そのため、何もせずに部屋でぶらぶらすることも可能ですし、友達と一緒に外で遊んだり、買い物をしたり、図書館で勉強することも出来ます。時間・ルールを守れば、誰も何をしてはいけないとは基本的には言いません。間違った時間の使い方はないと思います。ただ高校を卒業してから、3年間を振り返ってみると、もうちょっと勉強出来たかな?と思う時期もありますが、オールシーズン全力でスポーツをして、試験前にルームメートと遅くまで一緒に勉強した、友達と過ごした一生忘れられない時間を考えると、高校時代の3年間は自分なりに有効かつ最高に楽しく過ごせました。

留学中の成功の秘訣

一つ挙げるとすれば、自分が他人からどのように思われているかを気にしないことです。留学当初は英語なんてしゃべれる訳もなく、ネイティブの人に笑われたり指摘されたりします。ただ、それで恥ずかしいから話すのを控えるとか、他人からどう見ているかなどを過剰に意識してしまうと、英語も上達しないし、私生活でも人間関係が広がらず、つまらない留学生活になってしまいます。実際、どんなに英語が下手でも積極的に話しかけてくる人に対しては努力してコミュニケーションをとろうとするし、周りには英語が母国語ではない人も大勢います。そして、生徒の人種、出身地、宗教などの背景がそれぞれ異なるため、最初は英語がしゃべれなくても、別にそれだけで人を判断することはありません。そのため、他人からの目線を気にして自分の殻にこもるのは留学をする上で成功を妨げます。

留学生活を振り返って

僕にとってこの7年間は夢のような時間でした。留学が終わった今、正直寂しく、戻れるなら戻りたいです。そして、現在の自分のベースとなっているのはアメリカでの7年間です。留学生活なしに今の自分はありません。英語ができるようになったのはもちろんのこと、自分により多くの興味を持たせてくれたのが留学です。例えば、オペラ鑑賞や美術です。高校まではオペラに全く興味がありませんでした。しかし、10年生の時に鑑賞して以来、毎年ニューヨークまでオペラを観に行きました。そして、美術史の授業を履修しました。元々は、卒業に必要な美術の単位を得るために友達に誘われて履修した授業なのですが、結果的には高校時代で一番好きな授業となりました。日本に帰国後も度々美術館に足を運ぶようになり、美術にほとんど無関心だったのが、今では大好きなスポーツに並ぶほど関心を抱くようになりました。

このように、新しい自分を見つけられる機会を与えてくれたのが留学でした。今自分が大学生になって様々なことに興味を持ち、挑戦することの重大さを感じています。大学という場所で勉強し、サークルや部活に励むことは大切ですが、ただそれだけでは何千人もいる他の学生と何も変わりません。その大学に通っている学生の一人というだけです。先ほど述べたように、バラエティ溢れる人間になることがとても大切だと僕は感じます。海外生活を通じてそのような人間になるために関心の有無を問わず、知らないことに積極的に挑戦する姿勢が必要だと感じます。

今後について

幼い頃から将来はスポーツ分野で活躍したいと思っていました。もちろん、選手としてではなく、スポーツ産業に携わる人間としてです。まだ、具体的にどのような職業に就きたいかは決めていませんが、日本のスポーツ産業をアメリカにあるような巨大なマーケットに発展させることが目標です。アメリカでの生活を通して、本場のスポーツビジネスというのを目の当たりにし、将来自分もアメリカで見たようなスポーツ産業というのを日本にも確立したいと思うようになりました。

後輩へのアドバイス

アメリカで過ごした7年間に苦労はあっても辛い思い出はほとんど記憶にありません。海外で生活させてもらっているのですから。留学をこれからする人、またしている人には辛い思い出なんてなかったと将来思えるような留学経験をしてほしいです。そのためには、卒業までの限られた時間で精一杯留学生活を楽しむことが大切です。もし精一杯楽しみたければ、時間を無駄にせず遊ぶときはとことん遊び、勉強するときは集中して終わらせるというメリハリをしっかりつけることが鍵となります。


アメリカのボーディングスクールに4年間通ったR.W. くん

学校名 Mercersburg Academy
学校の種類 ボーディングスクール (共学)
滞在国 アメリカ ペンシルバニア州
滞在開始学年 中学校3年生
滞在期間 4年間
滞在方法

留学のきっかけ

僕は私立中学に通っていましたが、中3の時に突然思いつきました。それまではアメリカの学校に行こうなどとは選択肢の中に無く、留学という言葉もおそらく発したことは無かったと思います。映画の内容と関連していませんが、友達と「STARWARS」を観に行った帰りに初めて考え始めましたことを覚えています。神様が耳元で囁いたのかも知れません。両親が昔にアメリカに住んでいた事も奥底で影響していたかもしれません。

学校を選んだ理由

東海岸の数校に願書を出し、母と学校訪問をしました。自分ではマーサスバーグに受かるとは思ってもいませんでした。合格の通知が来たときは驚きました。やはりマーサスバーグは勉強の面でレベルがとても高かったから選びました。加えて、キャンパスの設備はとても整っていました。後になって大学を見て回った時にマーサスバーグのキャンパスの美しさと設備の良さに改めて気づかされました。

入学した当初

初年度は辛かった記憶があります。宿題が夜遅くまで終わらなく途方に暮れていた時などは、なんで留学なんて思いついたのだと自分に嫌気がさしていました。やはり英語と歴史の授業は苦痛の一言でした。宿題は膨大に出るし、授業中は当てられないように息を殺して座っていたり、テストで一問正解していたら安心の溜息をついたり。今では笑い話になりましたが。

ある日、後に親友となるアンドリューが部屋に教科書を持って入ってきて、宿題のページを僕に向かって音読してくれました。2時間くらいかかったと思いますね。それで次の日、テストを受けたら60%くらい正解していました。彼には今でも感謝しています。その勉強会は1年の間ずっと続いて、人数もだんだん増えていきました。もっともアンドリューの助けはそれだけで、10年生の時は同じ化学のクラスになり二人とも成績は最悪でした。ホースで遊んだり、火で遊んだり、危険な化学薬品で遊んだりと、何回クラスを追い出されたか覚えてないほどです。勿論、両親にも言わなかったので、これを読んで初めて知るでしょう。でも、それが楽しかった思い出です。

留学中の成功の秘訣

確かにマーサスバーグは英語力の弱い自分にはチャレンジングだったと思います。留学生も殆どインターナショナルスクールからか海外経験がある人ばかりなので、留学生は皆優秀でした。Cum Laude(注・参照)を取れたのは運だったと思います。正直、相当なストレスとプレッシャーに運良く乗り切れたなと思います。日本の受験も大変ですが、こちらも相応にキツいですね。それも、うまく乗り切れたと思います。

大切なのは真剣に考えすぎず、真剣になる事ですね。矛盾しているかも知れませんが、真剣になるのは必要です。でも失敗をしても「まあいいや」と考えられるのも重要です。悔やんでも結果は変わりませんから。僕自身はそう思っていましたが、両親やエディクムのスタッフにはしょっちゅう「もうダメだ」と弱音を吐いていたと思います。今となっては、僕は覚えていないので、それが成功の秘訣かも知れません。

留学生活を振り返って

留学して一番宝になったものは、やはり友達です。マーサスバーグでは生徒全員家族同様です。親友のアンドリューとティムに加えて、何人か大切な友達がいます。その一人はサムです。サムとは10年生の時会って以来、兄弟の様な仲です。彼の家族も僕を家族の一員として受け入れてくれ、ずいぶんお世話になりました。サムは良きライバルであり友であり、今年からYALE大学で勉強しています。他にも数えきれないほどの大切な友達に恵まれました。彼らとは一生つき合っていく友達になるでしょう。マーサスバーグで出会えたのは運命だと思います。彼ら抜きでは僕は卒業できていなかったかもしれません。何より人生で最高の思い出を作ることはできませんでした。これからも将来的にお互いに助け合う事があるでしょう。良い友達を作ることが、勉強をするより更に成功への鍵となり、何より良い人生を送る鍵だと思います。

僕の中で思い出に残る先生は二人います。一人はアドバイザーでもあり、歴史の先生でもあったケンタウロス先生です。彼のおかげで僕は自分の興味のある学問を見いだすことが出来、先生は僕にとっては親の様な存在です。先生の作る手料理はおそらく、今まで行った全てのレストランに勝ることは確かです。12年生のとき、ケンタウロス先生からアメリカ政治、比較政治、そして政治思想を学びました。毎日最低3度は顔を合わせていましたが、飽きやすい僕が何も感じなかったのはおそらく彼が良い先生で楽しい存在だったからでしょう。 先生の一言一言はユーモアに溢れていて、雑談ばかりしているのに学んだことは多かったです。APのテストにおいて最高評価を得られたのも、僕がこの道を生きたいと思ったのも彼のおかげです。

もう一人はテニスのコーチのヒックス先生です。正直言って、僕は彼を困らせてばかりいたと思います。部活中に、ラケットは投げるし、皆をまとめるべき役割なのに切れてばかりいたこともありました。でも先生は最後まで僕に対して公平で何より気遣ってくれました。他の人ならとっくに放り出していたと思います。でも彼のおかげで自分の非を見つけることができ、最後の年には成長できたと思います。今の僕があるのは、先生のおかげだと思います。


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教育を考えるとき、ぜひ一度ご相談ください

留学する・しないを含め、まず一度ご相談ください。
最適な方法を一緒に考え、探しましょう。

大切な子どもに残してあげられることは何でしょうか。たとえお金や物がなくなったとしても、教育を受けたことによる目に見えない「経験」は、貴重な財産としてその子の人生を豊かに彩る礎となるに違いありません。
グローバル時代と言われて久しい昨今、子どもの教育・経験を考える時に「海外留学」も選択肢のひとつとして当たり前になってきました。少なくとも、子どもがそれを望んだ場合には、保護者は耳を傾け、機会を与えてあげてほしいと願います。

エディクムは「世界のどこに行っても活躍できる人になってほしい」と願いながら、50年の間に7,800人以上のお子さんの海外留学をサポートしてきました。その実績に基づきながら、1人ひとりに丁寧なカウンセリングを行います。気持ちが固まっていなくてもかまいません。あなたの留学への思いを聞かせてください。

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