アメリカ

アメリカ学校情報:アメリカへの留学の特長やメリット、エディクムの考え方などご紹介します。

アメリカへの留学


広大な国土と多様性・選択肢の広さが魅力

中学生・高校生の留学の受け入れ先としては、イギリスと並んで最も歴史のある国と言えるのが、アメリカです。私立のボーディングスクールは、全国に約350校存在し、それぞれの学校が特色を持っています。公立校への留学は、学生ビザの発給が1年のみのため、1年間しか在学することができません。

アメリカ留学のメリット・留意点


メリット

  • 約350校のボーディングスクールから、自分に合った学校を探せる選択肢の広さ
  • 成績優秀者には、奨学金や飛び級、大学への単位持ち越しなど、目に見える形の結果が得られる

留意点

  • 気候や時差、英語のアクセントや人種の比率などの地域差による影響を考慮する

教育制度


特長

小学校6年間、中学校2年間、高校4年間(州によって異なります)と、少し日本と似ています。ESL(英語を母国語としない第1外言語としての英語)と呼ばれる留学生のための英語クラスを設置しているところが数多くありますので、英語力が十分でない学生も入学できます。

ほとんどの寮制学校の場合、ガーディアン(現地保証人)は不要ですが、西海岸などの一部では必要な学校もありますので、確認が必要です。

学校生活では、学習だけでなくスポーツや寮ごとの活動、コミュニティー活動などへの参加が奨励されていて、リーダーシップをはじめとするさまざまな能力を発揮する機会が設けられています。

以下に代表的なアメリカの教育制度をご紹介します(州によって異なります)。

  • 小学校6年間、中学校2年間、高校4年間
  • 小学校4年間、中学校5年間、高校3年間

学年 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 1 2 3 4
Elementary School Middle School Upper School 4-year college
Elementary School Junior Bording School Upper School 2-year college

学期

新学期は8月下旬~9月上旬に始まり、2学期、3学期、4学期制です(学校により異なります)。
2学期制の場合、前期は12月中旬頃まで(11月中旬~下旬に感謝祭休暇があります)、後期は1月上旬~5月末、又は6月上旬(途中、3月~4月に2週間ほどの春休みがあります)で1学年が終了します。

入学時の注意点

ビザ取得

学生ビザは、申請者のほぼ全員がアメリカ大使館(または領事館)に出向き、面接を受けます。

エディクムからのアドバイス

9月(または8月下旬)に始まる新学期に備え、6月~7月に始まるサマースクール、または4月開始の語学研修に参加することをお勧めします。

ボーディングスクール(私立寮制学校)費用例


学校名 Cushing Academy Mercersburg Academy St. Croix Lutheran High School
授業料・寮・食費 $72,850 $72,925 $37,600
ESL費 $7,500 - -
合計 $80,350 $72,925 $37,600
1USD=150円(2023年10月現在) ¥12,052,500 ¥10,938,750 ¥5,640,000

上記は1学年間の授業料・寮・食費の基本費用です。その他に航空券代、医療保険代、入学金、雑費(教科書、テクノロジー、アクティビティ費用など)預け金、小遣い、ビザ申請費、エディクムのサポート費用などが別途かかります。

アメリカへの留学体験談

エディクムの子どもたちは、ボーディングスクール、サマースクール、公立校含め、さまざまな学校に留学していきました。以下に紹介していますので、ご覧ください。


アメリカのボーディングスクールに4年間通ったK.O.さん

学校名 Fountain Valley School of Colorado
学校の種類 ボーディングスクール
滞在国 アメリカ コロラド州
滞在開始学年 9年生
滞在期間 4年間
滞在方法

カンボジアでのサービスプロジェクトに参加して

 私は、現在コロラド州にあるFountainValley School に通っています。 高校生活が残すところ1 年となった夏休み。大学進学への準備だけではなく有意義な時間を過ごしたいと思い、民間団体主催の高校生ボランティアプログラムに参加しました。多数の選択肢がある中、友人がいることで親近感があるカンボジアで、子供たちに英語を教えるプログラムを選択しました。

 空港に着いた途端、湿度と温度の高さに驚き、これからこの過酷な気候の中活動するのが少し不安になりましたが、現地のコーディネーターの方が親近感の持てる女性で、日本のことを色々と質問してくれたりしながら、私達の不安な気持ちを解きほぐしてくれました。初日のWelcome Dinner ではタランチュラやコオロギの料理が出てきました。コーディネーターの人に、“これはカルシウムだからもっと食べた方が良い”と推されましたが、足だけ食べるだけで精一杯でした。

 このプログラムに参加する以前、カンボジアは、発展途上国で治安もあまり良くない国という印象でした。実際のカンボジアは、都市のプノンペン近くはイオンやスタバなどもある近代都市でしたが、車で20 分も走れば未舗装の道路となり、裸足で歩く子供の姿を多く見かけ、また住居はほとんどが、高床式住居で、家畜を住居スペースの下に飼っている家が多く驚きました。学校へは河を渡らなければいけませんが、橋が整備されていないため、毎日船に乗らなければなりませんでした。このような環境の中でも、生徒たちはとてもフレンドリーで明るく、積極的に質問して来ました。クメール語と英語でのコミュニケーションは、とても難しかったですが、大繩飛びや折り紙を一緒にしているうちに次第にコミュニケーションが取れるようになり、数名の生徒が自分の名前を呼んでくれ た時はとても嬉しかったです。

 平日は毎日午前中英語を教え、午後は壁塗り活動をするのが私たちの主なボランティアワークでした。1 年生から6 年生まで1 学年1 クラス編成で、しかも、ひとクラスの人数も数十人なので、学年を超えて皆仲良く遊んでいました。クラスの中で英語力が異なる生徒達に、限られた時間の中で、どうやったら生徒達が退屈せず、効率良く英語を学べるかを他のグループのメンバーとも何度も話し合いを重ねました。お互いの言語がわからない中教えるのはとても難しかったですが、最終日には生徒達は皆に手紙を書いてくれて、飴やスノードーム、折り紙をプレゼントしてくれました。午後は色褪せていた校舎を真新しい綺麗なペイントを使って塗り直すという途方もない作業でしたが、授業が終わった子供達がお手伝いしてくれたお陰で、2 週間後には校舎全体が新築同様になりました。

 子供全員が学校に行けるのが当たり前の日本ですが、カンボジアではそうではなく、アンコールワットなどの有名な観光地ではお土産を観光客に必死に売っている子を何人も見ました。また、学校には電気は通ってないので、クーラーはありません。いくら屋根があるといっても、外は毎日38 度の世界で、教室にあるのは2 台の扇風機だけ。一つ20 ドルの扇風機が購入できない過酷な環境下でもみんな文句ひとつ言わず授業を受けていました。

 小学校では多くの生徒が日本からの寄付と思われるくまモンなどのキャラクター物の洋服、公文式のカバン、日本製の自転車などを使っていました。今回発展途上国の貧しさを初めて自分の目で見、また、実際に子供達が他国からの寄付の品物を使っている場面に何度も遭遇し、寄付の大切さを実感しました。

 今回参加した私たちのグループだけではこの状況を解決するには微力すぎるかもしれませんが、寄付をアメリカの学校でお願いすればもっと多くの人が支援してくれると思い、夏休み後学校で募金活動をしました。自分にできることはほんのわずかなことですが、こうした発展途上国の状況を多くの人に伝え、小さな活動を続けて行くことが、発展途上国を支えて行く力になると強く感じ、今後も機会があれば、支援活動を続けて行こうと思いました。


アメリカのボーディングスクールに4年間通ったK.T.さん

学校名 Ojai Valley School
学校の種類 ボーディングスクール
滞在国 アメリカ カリフォルニア州
滞在開始学年 9年生
滞在期間 4年間
滞在方法

大火事災害を乗り越えて

留学を始めて4ヶ月が経った2017年の12月、私の通うオーハイバレー・スクールはカリフォルニアで発生した大規模な山林火災により被災しました。

寮が燃えてしまった…

 期末テストを1週間後に控えた頃、遠く8マイル先(約11キロ)先で起きている山火事に「どうせ学校の方まで来ないだろう。それよりテストの勉強をしなくちゃ」と火事よりも試験の方が気になっていました。避難が決まっても「どうせ1日で帰ってこられる」と、私は洗面用具、寝袋、パスポート、1日分の着替えを持ち、足元はビーチサンダルでした。しかし、夜が明け外に出てみると、あたり一面煙で呼吸が困難なほどで白い灰が雪のように降っていました。そして、涙ぐんだ校長先生から告げられたのは、“女子寮全焼“。  「寮が燃えてしまった、全部なくなってしまった」と泣きながら電話で母に伝えると、母は「みんな無事?全部燃えてしまったかもしれないけれど、命が助かったんだから大丈夫。カンナは泣いてる場合じゃないよ、いまこそみんなを励ましてあげなさい。それがあなたの役目だよ!」と言われ、そうだ、生きていることに勝るものはない、と感じた私は、同じ寮にいたみんなに「生きてるんだから大丈夫!」泣き笑いしながら、声をかけました。その後たくさんの人たちのサポートを受けて、無事に帰国。日が経つ毎にどうすれば、自分の経験した自然災害の恐ろしさを伝え、何が学校に貢献できるだろうかと考えました。エディクムの柏倉さんの「カンナちゃん、チャリティをやってみては」というアドバイスもいただき、1月6日、学校に戻る前日、私はチャリティイベントを開催しました。

チャリティーイベント実施!

 協力してくださるレストランを見つけ、ちらしを作り、皆でカレーライスを食べるというチャリティ・ランチイベントを企画。同級生や友達、FBでチャリティを知った留学生をもつお母さんやこれから留学を考えている高校生など、約50人の方が集まってくださいました。私たちは学校の紹介や被害の様子を来ていただいた方々に懸命にお話ししました。私の考えた小さなイベントにたくさんの方々が応援してくださり、涙が出るほど嬉しかったです。  そして、今年の夏休みにはチャリティバザーとして再び学校への支援イベントを開催しました。帰国していた同じ学校に通う日本人学生や中国人の学生が手伝いに来てくれて、ホットドックのランチボックスやかき氷をみんなで作り、力を合わせてやりました。  バザーにもたくさんの品々をいただき、様々な方のご協力で募金額も想像を上回るほどでした。何よりも「頑張ってね!」の声援にただただ感謝しました。

挑戦する気持ち、そして行動力

 「どんなに大変なことがあっても、まず行動しなければ何も始まらない。」  自分のできることを精一杯にすること、そして誰かのために何を始めることが私自身にとってどれほどやりがいのあることなのか、今回のチャリティ・イベントを通して実感することができました。日本にいた頃は自分の良いところや得意なことがうまく引き出せず、失敗ばかりの時もありました。アメリカに留学して自分の中に沢山の引き出しがあることを、先生方や様々な国から集まる同級生とのコミュニケーションが気づかせてくれました。ありのままの自分を表現し、活かせる場所を見つけることは簡単なことではないかもしれません。でも、挑戦することはどんな時でも、誰にでもできます。  新しい国で暮らす私にとって、諦めずに挑戦し続ける気持ちが、今までの人生になかった一番の原動力になっています。


山火事で燃えてしまった学校


アメリカのジュニアボーディングスクールに3年間通ったS.R. くん

学校名 The Fessenden School
学校の種類 ボーディングスクール(男子)
滞在国 アメリカ
滞在開始学年 小学校6年生
滞在期間 4年間
滞在方法

アメリカの学校とは?

アメリカの学校は、とても自由で学校のクラスに生徒が10人ぐらいしかいないので、授業中に手を挙げる機会が増えました。それに、いろいろな国の人たちと一緒に授業を受けることが出来てとても楽しいし、新しい友達がたくさん出来ました。とくに僕の行っているFessenden Schoolは、たくさんの外国の生徒がいます。僕の学校のESLのクラスでは、一人の先生が日本に行ったことがあり、日本語をしゃべれるのでいろいろな時に助けてくれます。

寮のこと

Fessendenには7つの寮があり、1つの寮にだいたい14人ぐらい生徒がいて、2人の9年生のリーダーと、先生の家族が2家族住んでいます。7つの寮のうち2つが9年生だけの寮です。9年生の寮以外のほとんどの寮は部屋にはドアがなく、カーテンが設置してあります。1つの寮では4つの部屋が2人用で、6つの部屋が1人用です。寮に住んでいることでたくさん友達も増えるし、英語も上達すると思います。

学校の先生

Fessendenの学校には、たくさんの先生がいて、ほとんどの先生が学校の敷地内に住んでいます。クラスでは、先生がよく分かりやすいように教えてくれます。ほとんどの先生は、とても楽しくてよい先生です。クラスの後には、毎日スポーツの時間があり、先生たちはスポーツのコーチへと替わり、真剣に僕達にスポーツを教えてくれます。休日や週末には、先生たちがいろいろな所へ連れて行ってくれます。僕の行った旅行の中でベスト3は、先生たちの家で映画をみるトリップ、レッドソックスの野球の試合か、バスケットの試合を見に行くトリップ、あとショッピングのトリップです。

僕の周りで起きた事件!

この1年間僕の周りでいろいろな事件が起こりました。ある日の夜、僕は、すごくよく寝ていました。しかし、僕の耳もとでガサガサした音がしたのでベッドの下を見てみたら、誰かが僕のベッドの下に隠れていたので「誰だ!」と言ったら、「イッヒヒー」といって逃げていきました。その後僕は、ずっと起きていて深夜の3時にまた同じ人が部屋に入ってきて、僕のコーラをつかんでいたので、近くにあった空のボトルを投げつけたら、コーラを置いて逃げていきました。結局、僕はほとんど眠れませんでした。

楽しかったこと

この一年間でたくさんの友達ができ、日本ではなかなか出来ない経験をして、楽しい思い出ができました。週末の旅行は、いろいろな事が出来て楽しかったです。外国の友達が出来るというのもとても貴重なことだと思います。今年は、すごく楽しい一年間が送れてうれしいです。ただ今、僕が思っていることの一つに、今まで僕をふくめて4人いた日本人のうち今年1人いなくなってしまい、来年には3人になってしまうので、僕は新しく日本人の学生が来るのを待っています。



アメリカのボーディングスクールに3年間通ったK.S. さん

学校名 The Hun School of Princeton
学校の種類 ボーディングスクール(共学)
滞在国 アメリカ ニュージャージー州
滞在開始学年 中学校3年生
滞在期間 4年間
滞在方法

The Hun School of Princetonに留学して2年が経ち、この秋、3年目を迎えようとしています。この2年間、大学受験に向け、塾に通い、考え方が合わない学校で悔しい思いをしていた中学生時代には想像もしていなかった毎日を送っています。留学ということを考え始めた頃、「アメリカに行っていろんなことを学ぶんだ!」という期待で胸をふくらませていました。学校が始まり、何もかも初めて経験することばかりで戸惑うことも多く、何をするにしても周りの何倍も時間がかかってしまう自分に苛立ち、また情けなく思う日々もありました。1年目を終えた頃、漸くアメリカでの寮生活、自分の状況を楽しめることができるようになりました。

海外のサマースクールへの参加

1年目を終え、今まで参加してきた高校主催のサマースクールとは違い、大学キャンパスで行われるSummer Discovery @ Georgetown Universityに参加しました。スケジュールに従って行動するサマースクールとは違い、自分の時間をどのように使うのかをしっかり考える必要がありました。大変な分、よりいろんなことに挑戦、参加する機会が多かったように感じます。

ベトナムのボランティアに参加

2年目の春休みには、ベトナムで行われたCommunity Service Tripに参加しました。数日間ホーチミンに滞在し、ベトナムの歴史や人々の街での暮らしについて学び、このTripのメインであるボランティアをするためにメコン川流域にある小さな町に向かいました。現地ではホームステイをする予定でしたが、学校の許可が下りず、結局少し離れた街のホテルから片道2時間かけて現地に通いました。私たちの仕事は、Ms. Naというベッドから落ち半身不随になり地域で一番貧しい生活を強いられているおばあさんとその家族のために雨期を凌げる新しい家を建てることでした。何もない平らな土地に、一から家を建てるのは大変でしたが、地域の人たちの協力もあり、1週間という短い期間で家を完成させることができました。

「孫が地面をハイハイできる家に住む」というおばあさんの長年の夢が叶い、泣いて喜んでくださったことは一生忘れないことだと思います。最後の日、地域の子供たちにアメリカから持ってきた筆記用具をプレゼントしました。子供たちの勉強をしたいという強い思いにボランティアに行った私たちの方が勇気付けられました。


ベトナムの子供たちと


アメリカのボーディングスクールに2年間通ったM.T. くん

学校名 Northfield Mount Hermon School
学校の種類 ボーディングスクール(男子)
滞在国 アメリカ マサチューセッツ州
滞在開始学年 9年生
滞在期間 2年間
滞在方法

ぼくのアメリカ留学1年目はあっという間に過ぎてしまった。自分のfreshman yearが終わってしまったことにまだ実感というものがもててない。ただ、本当にいろいろなことを学んだ1年だったと思う。かけがえのない友たちとの出会い、寮生活、全く違う勉強法、スポーツetc. 楽しかったこと、落ち込んだことなどいろいろあった。すべてをここに書ききることはできないので、かいつまんで書かせていただく。

学校の紹介

ぼくが留学中の学校は、Northfield Mount Hermon(以後NMH)という、マサチューセッツ州の山の中にある学校。キャンパスがとても広く、自然に囲まれていることが魅力だ。ぼくは面接で訪れた際、『この学校に入りたい』と強く思った。TOEFLとSSATの点数が非常に低かったぼくは、受かることさえないと思っていたが、奇跡的にぼくは受かった。

ぼくがNMHに着いたのは、まだ暑さの残る8月の終わりだった。Registration にいくと、そこにはたくさんのアジア人がいた。しかも皆親と一緒に来ていた。親がいないのはぼく位のものだった。ぼくは恐る恐る長い列に並んだ。自分の番を待っていると、後ろから話しかけてきた親子がいた。しかも日本語で、だ。よく見ると、見覚えがある。それは面接の時たまたま一緒だった親子だった。それがぼくとYとの出会いだった。

Yは生粋の中国人なのだが、日本で生まれたため、日人の名前をもっている。だが日本語はほとんど話せない(中国語はぺらぺらである)。Yとぼくは、部屋が近かったり、取っている授業が同じだったしたため、すごく親しくなった。週末に中華の出前をとったり、女の子の話をしたり、テニスをしたりして過ごした。時には、他の数人の友だちとホラー映画をみたり、ゲームをしたりした。来年からはそれぞれ別の寮に入るが、こんな関係を続けられたらいいと思っている。

授業について

学校の勉強は簡単ではなかった。毎日宿題が出るし、授業にも集中していないとついていくことができない(単に自分の英語レベルの問題かもしれないが)。特にぼくは、Essay(作文のようなもの)に苦労した。ESLのクラスではEssayがよく出されるのだが、はじめの頃、ぼくはC (65点くらい)しかとれなかった。先生によれば、文法がめちゃくちゃだという。自分でも改善しようとしたが、どんなにあがいてもCランクから脱出することはできなかった。中間の成績はC+ (70%)だった。ぼくは家族やadvisor(担任のようなもの)と話し合い、tutorをつけることにした。Tutorとは家庭教師のようなもので、週1で会い、essayの中にある文法の間違いなどを直してくれる。Tutorを受け始めたとたん、いままで気づかなかったようなシンプルな間違いにも気づき、修正することができた。Tutorをはじめてから、ぼくのessayの成績は、B-、B、B+と上がっていった。年度末にはA-も一回だけだが取った。うれしかった。

もう一つ勉強で言えば、毎週出される単語クイズにも苦しんだ。毎週30-60の単語が課題として出され、そのうち10個がランダムにテストに出る(先生はテストの5分前にどの単語を出すかを決めるため、山をはるのは相当難しい)。最初のころ、ぼくの単語テストの成績は散々たるものだった。ある日、ぼくは仲の良い女友達にそのことをぐちっていた。すると彼女はこういった。『あら〜そんなの簡単よ〜。紙に書いて2、3回読めばいいだけ〜。』ぼくはその方法を実践することにした。すると、その次の単語クイズで90点を取ってしまったのだ。これにはぼく自身たまげた。他にも、日本では絶対とれないような授業もある。例えば、ぼくがとっていたtheater production(演劇)の授業では、舞台の裏方ことについて学び、実際の劇で裏方をやったりする。とても楽しい授業だった。

アメリカでは勉強だけをしていればいいわけじゃない。スポーツもしなければいけない。アメリカではシーズン(秋、冬、春)ごとに違うスポーツをする。しかも誰でも好きなスポーツができるわけではない。ほとんどのスポーツにはトライアウト(選抜)があり、規定の人数だけがチームに残れる。サッカー、バスケ、テニスなどは半数ぐらいの人がチームに入ることができない。ぼくは、秋はサッカー(3軍)、冬は水泳(2軍)、春は野球(2軍)をした。運良くどのシーズンも自分のやりたいスポーツができた。どのチームの練習も、1-2時間とコンパクトで、そんなに厳しくもなかった。

ただ毎週のように試合やレースがあった。しかも2軍や3軍だと、練習場が寮から遠かったり、夕食の時間帯に練習があったりする。冬に水泳をやっていたときは、夕食の時間帯に練習があったため、練習後急いで着替え、食堂に向かい、料理を胃袋につめこんだ。それでもスポーツの時間はとても楽しかった。いろんな人と出会い、心身ともにみがくことができた。1軍に一つも入れてないのは悲しいことだが、来年、再来年と実力をあげ、すべてのスポーツで一軍に入れればと思っている。

寮生活について

寮生活でかかせないのが、ルームメートの存在である。ぼくのルームメートはHという台湾人だった。彼の評価は賛否両論だが、ぼくに言わせると、一緒に住んでみて悪いやつでは無かったと思う。ただ毎週のように自分の彼女と電話越しにけんかをするのには参ったが。彼はある日、2段ベットの上から落ちて記憶をなくしたという騒ぎまで起こした(真偽は定かではないが)。来年はそれぞれ違うルームメートをもち、寮も別々になる。来年からは勉強も難しくなるし、SATなどのことについても考えはじめなければいけない。まあ大変なこともいろいろあると思うけど、がんばって行きたいと思う。


仲良くなった友人Y、ルームメイトのHと。



アメリカのボーディングスクールに4年間通ったT.S. さん

学校名 Dana Hall School
学校の種類 ボーディングスクール (女子)
滞在国 アメリカ マサチューセッツ州
滞在開始学年 中学校3年生
滞在期間 4年間
滞在方法

留学のきっかけ

幼稚園時代の3年間、家族と一緒に、アメリカで過ごしました。そのため、私も両親も異文化で暮らすことには抵抗はなく、私自身もいつかは留学したいと常に思っていました。 そんな中、中学2年生の秋、母とのたわいもない話をしている時に留学の話題が出てき て、これだ!と思ったのがきっかけです。それから、母がいくつものエージェントに話を聞 きにいった中で出会ったのがエディクムでした。

学校を選んだ理由

私はDana Hallの他にも7校受験しました。通っていた中学校が女子校だったこともあり、 受験校も半分は女子校で、Dana Hallはそのリストの中で一番レベルの高い学校でした。2 月に両親と共に全ての受験校を訪問した上で気に入った学校を決めようとしましたが、ど の学校も特有の校風を感じさせるキャンパスで、その迫力に驚いたのを覚えています。

8校の中でも、Dana Hallは唯一ボストンから電車で30分、街にもすぐ歩いて行けるような立 地にあり、新しいスポーツセンターと女子校らしいきれいな校舎に魅力を感じました。 ESLのプログラムがない学校で、ついて行けるか不安はありましたが、 チャレンジして損はないと思い、Dana Hallに行くことを決意しました。

入学した当初

Dana Hallはセブンシスターズの一大学であり、 ヒラリー・クリントン女史の出身校でもあるウェズリー大学の付属女子高校として1889年に設立されました。 歴史と伝統のある学校で、キャンパスもアカデミックな雰囲気に包まれみんな大変勉強熱心でした。 ESLプログラムがなかったので、英語力が足りなかった私にとって最初の年は辛かったのを覚えています。

ずばり、私のサバイバル術のキーは時間をどれだけ有効に使うかでした。 当たり前のように聞こえるかもしれないですが、全てに関して自己管理をする、 注意してくれる親もいない留学生活を経験して初めてその重要さに気がついたのかもしれません。 そのため、勉学だけでなく、スポーツや課外活動も強いられる中で、 私は自分の趣味などのための時間も作ることができ、充実した4年間を過ごすことができました。

学校の雰囲気・学校生活

女子校だから男の子がいなくてつまらなそうと言う方もいますが、 女子校ならではの楽しみも数えきれないほど沢山ありました。 特に、Dana Hallには数多くの伝統行事があり、上級生と下級生の関わり合いが多く、 学校内の雰囲気もフレンドリーで、上級生と下級生の関係はまるで姉妹のようでした。

行事の中には、出席した人しか知り得ない、経験することができないものも多くあります。 中でも、印象に残ったのは、年度始めに行われる“Senior-Sophomore”です。 この伝統行事は、100年以上も受け継がれています。 元々はSenior( 12年生)がその頃は最も下の学年であったSophomore( 10年生)を新入生として歓迎する行事でした。 SeniorはひとりずつSophomoreに付き、行事当日の服装などをアレンジします。 Sophomoreは自分のSeniorが誰か知らされないまま、 当日まで自分がどのようなコスチュームを着せられるのか少しずつヒントを与えられます。 それは、パッケージだったりメモや手紙だったり、 Seniorは工夫を凝らしていきます。カウントダウンに入ると、 毎日お菓子がたくさん乗っかったポスターをもらい、 前日の夜にはSeniorがSophomoreに知られないように、 自宅の部屋を飾り付け、お菓子まみれにします。

当日はSophomoreの変装で学校中がハロウィーンみたいになり、 その晩、SeniorとSophomoreのみの晩餐会で相手が分かる、という伝統行事です。私がSophomoreの時、前日の夜、図書館から帰ってドアを開けようとしたところ、 風船や飾りで部屋がごった返していてびっくりしたのは忘れられません。 ちなみに、私は原始家族フリントストーンのベティ・ラブルになり、私のSophomoreはスーパーマリオになりました。

留学生活中に身についたこと

自律心、冒険心、愛国心、そして世界中の友達です。 一人でも容易に旅に出掛けられるようになりましたし、 美味しい食事や温かいお風呂、 家族での団らんなど前は当たり前のように思っていたことにも感謝できるようになりました。 さらに、日本人が私を含め2人しかいない中、立派に日本の代表になれるようにと自分への責任意識も高まりました。

やはり、最後にとても印象に残ったのが東日本大震災です。 まさか、留学している間これほどまでの大惨事が起こるとは想像すらしていませんでした。 震災当時、日本にいる家族ともしばらく連絡をとることができなくて取り乱していた中、 そこでも支えてくれたのは学校の友達と先生でした。 仲間に助けられながら、私はプレゼンテーションで日本の惨事を伝え、 募金活動と千羽鶴のプロジェクトを呼びかけました。 この経験で、未曾有の震災の中でも日本の強さに誇りを感じ、 家族や友達の存在の大きさも改めて実感することができました。

今後について

この4年間で英語力を培うことができたのはもちろんですが、 この留学経験は自分のしたい事や才能を気づかせてくれました。 学校では勉強だけでなく、絵画やスポーツを思いっきり楽しむことができたので、 今後も勉強や仕事だけでなく、絵画やダンス、ゴルフや旅行などの自分の趣味も両立していきたいです。 さらに、学校での暮らしの中で、様々な国の文化や慣習や思想に触れることができました。 これから大学で専攻する経済学の視点で、国々がどのように関連し合っているのか学ぶのも楽しみです。



アメリカのボーディングスクールに7年間通ったR.S.くん

学校名 The Fessenden School / St. Mark`s School
学校の種類 ボーディングスクール (男子)
滞在国 アメリカ マサチューセッツ州
滞在開始学年 小学校6年生
滞在期間 7年間
滞在方法

留学のきっかけ

小学校の低学年から北米のサマーキャンプに行っていたので、海外の学校で学ぶことには興味がありました。当時小学生の僕がどれほど真剣に留学について考えていたかは正確には覚えていません。このまま他の世界を知らずに、小学校から大学まで変わらない環境で育つことは寂しいなと思ったのは確かです。そこで夏休みだけでなく、海外の学校で学ぶ決断をしました。

学校を選んだ理由

東海岸のボーディングスクールに数校ほど出願しました。男子校で高いレベルの教育が受けられ、スポーツが強い学校に入学したかったため、それにマッチしたのが、Eaglebrook と The Fesseden School でした。両校とも魅力的で、環境も抜群でした。ただ、学校訪問のときに直感的に自分に合っていると思ったのがFessenden でした。学校のパンフレットやウェブサイト上の情報も学校選びの材料として重要ですが、やはりキャンパスに初めて踏み込んだ瞬間に自分がこの学校に合っているかは大体分かります。

入学した当初

ジュニアボーティングの良さは、やはり世界中から集まった生徒や現地の生徒と寮で共同生活出来ることです。僕のように6年生から海外の学校に通うことでもちろん言語力も向上しますが、他国の学生との寮生活を通じて得られる経験はまた特別だと思います。それは、若い時から現地の生徒と長い時間を過ごすことで、現地の文化や考え方も自然と身に付くからです。言語を純粋に学ぶことが留学の目的ではないので、留学するからには現地の文化やライフスタイルに染まる勢いで生活しないと全く意味がないと思っています。もちろん、日本人としてのアイデンティティを捨て、アメリカ人になれと言うのではありません。しかし、留学する理由を考えると、自分が日本に住み続けていただけでは得られない経験を積むことは一つの大きな動機となるはずです。そのためには、現地の生活習慣、考え方、文化、スポーツ、流行の音楽まで全てを吸収して、よりバラエティに富んだ人間になることが重要であり、それを可能にするのが留学、特に小学校からのジュニアボーティングだと思います。

高校進学について

受験時期は正直大変でした。秋にニューイングランド地方の学校を両親と共に10校以上訪問しました。1日に3校回った日もありました。また願書のエッセーを納得いくまで何度も書き直しました。その時に一番思い出すのは、出願数週間前の感謝祭の休みに、友達の家に一週間泊まり込み、一緒にエッセーを朝から晩まで書き続けたことです。9年生で最終学年ということもあり、冬休みまでは勉強がとても忙しく、学校ではなかなか願書が書き終わらず、結局休みの一週間で必死に書き終えました。多くのシニアボーディングから合格をいただき、最後は校長先生と面接をしたSt.Marks Schoolに進学しました。

高校生活

シニアボーディングではジュニアと比べはるかに自由時間があります。一日の大まかなスケジュールは決まっていますが、時間の使い方は自分次第です。そのため、何もせずに部屋でぶらぶらすることも可能ですし、友達と一緒に外で遊んだり、買い物をしたり、図書館で勉強することも出来ます。時間・ルールを守れば、誰も何をしてはいけないとは基本的には言いません。間違った時間の使い方はないと思います。ただ高校を卒業してから、3年間を振り返ってみると、もうちょっと勉強出来たかな?と思う時期もありますが、オールシーズン全力でスポーツをして、試験前にルームメートと遅くまで一緒に勉強した、友達と過ごした一生忘れられない時間を考えると、高校時代の3年間は自分なりに有効かつ最高に楽しく過ごせました。

留学中の成功の秘訣

一つ挙げるとすれば、自分が他人からどのように思われているかを気にしないことです。留学当初は英語なんてしゃべれる訳もなく、ネイティブの人に笑われたり指摘されたりします。ただ、それで恥ずかしいから話すのを控えるとか、他人からどう見ているかなどを過剰に意識してしまうと、英語も上達しないし、私生活でも人間関係が広がらず、つまらない留学生活になってしまいます。実際、どんなに英語が下手でも積極的に話しかけてくる人に対しては努力してコミュニケーションをとろうとするし、周りには英語が母国語ではない人も大勢います。そして、生徒の人種、出身地、宗教などの背景がそれぞれ異なるため、最初は英語がしゃべれなくても、別にそれだけで人を判断することはありません。そのため、他人からの目線を気にして自分の殻にこもるのは留学をする上で成功を妨げます。

留学生活を振り返って

僕にとってこの7年間は夢のような時間でした。留学が終わった今、正直寂しく、戻れるなら戻りたいです。そして、現在の自分のベースとなっているのはアメリカでの7年間です。留学生活なしに今の自分はありません。英語ができるようになったのはもちろんのこと、自分により多くの興味を持たせてくれたのが留学です。例えば、オペラ鑑賞や美術です。高校まではオペラに全く興味がありませんでした。しかし、10年生の時に鑑賞して以来、毎年ニューヨークまでオペラを観に行きました。そして、美術史の授業を履修しました。元々は、卒業に必要な美術の単位を得るために友達に誘われて履修した授業なのですが、結果的には高校時代で一番好きな授業となりました。日本に帰国後も度々美術館に足を運ぶようになり、美術にほとんど無関心だったのが、今では大好きなスポーツに並ぶほど関心を抱くようになりました。

このように、新しい自分を見つけられる機会を与えてくれたのが留学でした。今自分が大学生になって様々なことに興味を持ち、挑戦することの重大さを感じています。大学という場所で勉強し、サークルや部活に励むことは大切ですが、ただそれだけでは何千人もいる他の学生と何も変わりません。その大学に通っている学生の一人というだけです。先ほど述べたように、バラエティ溢れる人間になることがとても大切だと僕は感じます。海外生活を通じてそのような人間になるために関心の有無を問わず、知らないことに積極的に挑戦する姿勢が必要だと感じます。

今後について

幼い頃から将来はスポーツ分野で活躍したいと思っていました。もちろん、選手としてではなく、スポーツ産業に携わる人間としてです。まだ、具体的にどのような職業に就きたいかは決めていませんが、日本のスポーツ産業をアメリカにあるような巨大なマーケットに発展させることが目標です。アメリカでの生活を通して、本場のスポーツビジネスというのを目の当たりにし、将来自分もアメリカで見たようなスポーツ産業というのを日本にも確立したいと思うようになりました。

後輩へのアドバイス

アメリカで過ごした7年間に苦労はあっても辛い思い出はほとんど記憶にありません。海外で生活させてもらっているのですから。留学をこれからする人、またしている人には辛い思い出なんてなかったと将来思えるような留学経験をしてほしいです。そのためには、卒業までの限られた時間で精一杯留学生活を楽しむことが大切です。もし精一杯楽しみたければ、時間を無駄にせず遊ぶときはとことん遊び、勉強するときは集中して終わらせるというメリハリをしっかりつけることが鍵となります。


アメリカのボーディングスクールに4年間通ったR.W. くん

学校名 Mercersburg Academy
学校の種類 ボーディングスクール (共学)
滞在国 アメリカ ペンシルバニア州
滞在開始学年 中学校3年生
滞在期間 4年間
滞在方法

留学のきっかけ

僕は私立中学に通っていましたが、中3の時に突然思いつきました。それまではアメリカの学校に行こうなどとは選択肢の中に無く、留学という言葉もおそらく発したことは無かったと思います。映画の内容と関連していませんが、友達と「STARWARS」を観に行った帰りに初めて考え始めましたことを覚えています。神様が耳元で囁いたのかも知れません。両親が昔にアメリカに住んでいた事も奥底で影響していたかもしれません。

学校を選んだ理由

東海岸の数校に願書を出し、母と学校訪問をしました。自分ではマーサスバーグに受かるとは思ってもいませんでした。合格の通知が来たときは驚きました。やはりマーサスバーグは勉強の面でレベルがとても高かったから選びました。加えて、キャンパスの設備はとても整っていました。後になって大学を見て回った時にマーサスバーグのキャンパスの美しさと設備の良さに改めて気づかされました。

入学した当初

初年度は辛かった記憶があります。宿題が夜遅くまで終わらなく途方に暮れていた時などは、なんで留学なんて思いついたのだと自分に嫌気がさしていました。やはり英語と歴史の授業は苦痛の一言でした。宿題は膨大に出るし、授業中は当てられないように息を殺して座っていたり、テストで一問正解していたら安心の溜息をついたり。今では笑い話になりましたが。

ある日、後に親友となるアンドリューが部屋に教科書を持って入ってきて、宿題のページを僕に向かって音読してくれました。2時間くらいかかったと思いますね。それで次の日、テストを受けたら60%くらい正解していました。彼には今でも感謝しています。その勉強会は1年の間ずっと続いて、人数もだんだん増えていきました。もっともアンドリューの助けはそれだけで、10年生の時は同じ化学のクラスになり二人とも成績は最悪でした。ホースで遊んだり、火で遊んだり、危険な化学薬品で遊んだりと、何回クラスを追い出されたか覚えてないほどです。勿論、両親にも言わなかったので、これを読んで初めて知るでしょう。でも、それが楽しかった思い出です。

留学中の成功の秘訣

確かにマーサスバーグは英語力の弱い自分にはチャレンジングだったと思います。留学生も殆どインターナショナルスクールからか海外経験がある人ばかりなので、留学生は皆優秀でした。Cum Laude(注・参照)を取れたのは運だったと思います。正直、相当なストレスとプレッシャーに運良く乗り切れたなと思います。日本の受験も大変ですが、こちらも相応にキツいですね。それも、うまく乗り切れたと思います。

大切なのは真剣に考えすぎず、真剣になる事ですね。矛盾しているかも知れませんが、真剣になるのは必要です。でも失敗をしても「まあいいや」と考えられるのも重要です。悔やんでも結果は変わりませんから。僕自身はそう思っていましたが、両親やエディクムのスタッフにはしょっちゅう「もうダメだ」と弱音を吐いていたと思います。今となっては、僕は覚えていないので、それが成功の秘訣かも知れません。

留学生活を振り返って

留学して一番宝になったものは、やはり友達です。マーサスバーグでは生徒全員家族同様です。親友のアンドリューとティムに加えて、何人か大切な友達がいます。その一人はサムです。サムとは10年生の時会って以来、兄弟の様な仲です。彼の家族も僕を家族の一員として受け入れてくれ、ずいぶんお世話になりました。サムは良きライバルであり友であり、今年からYALE大学で勉強しています。他にも数えきれないほどの大切な友達に恵まれました。彼らとは一生つき合っていく友達になるでしょう。マーサスバーグで出会えたのは運命だと思います。彼ら抜きでは僕は卒業できていなかったかもしれません。何より人生で最高の思い出を作ることはできませんでした。これからも将来的にお互いに助け合う事があるでしょう。良い友達を作ることが、勉強をするより更に成功への鍵となり、何より良い人生を送る鍵だと思います。

僕の中で思い出に残る先生は二人います。一人はアドバイザーでもあり、歴史の先生でもあったケンタウロス先生です。彼のおかげで僕は自分の興味のある学問を見いだすことが出来、先生は僕にとっては親の様な存在です。先生の作る手料理はおそらく、今まで行った全てのレストランに勝ることは確かです。12年生のとき、ケンタウロス先生からアメリカ政治、比較政治、そして政治思想を学びました。毎日最低3度は顔を合わせていましたが、飽きやすい僕が何も感じなかったのはおそらく彼が良い先生で楽しい存在だったからでしょう。 先生の一言一言はユーモアに溢れていて、雑談ばかりしているのに学んだことは多かったです。APのテストにおいて最高評価を得られたのも、僕がこの道を生きたいと思ったのも彼のおかげです。

もう一人はテニスのコーチのヒックス先生です。正直言って、僕は彼を困らせてばかりいたと思います。部活中に、ラケットは投げるし、皆をまとめるべき役割なのに切れてばかりいたこともありました。でも先生は最後まで僕に対して公平で何より気遣ってくれました。他の人ならとっくに放り出していたと思います。でも彼のおかげで自分の非を見つけることができ、最後の年には成長できたと思います。今の僕があるのは、先生のおかげだと思います。


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