中学生の留学

中学生の留学とは?


子どもの「やってみたい」という勇気と保護者の決断があれば、英語がまったくできなくても、適切な準備と学校選択次第で、海外の初等・中等教育機関を有効に活用することは可能です。

日本の中学校受験・高校受験のレールに乗って、毎日塾へ通い受験勉強に追われる生活に別れを告げ、勉強、スポーツ、芸術などバランスのよい教育環境を求めているのであれば、海外のボーディングスクールを検討されてはいかがでしょう。

中学生の留学の特長


留学時期によって、目標が変わってくる

中学校1年生からの留学

個人差はありますが、小学校6年間を日本で経験しておくと母語の能力や日本人としてのアイデンティティはほとんど確立されると言われます。そして、海外の教育システムでは中学校2年生・中学校3年生が高等教育のカテゴリに入る場合があります。また、ジュニアボーディングスクールに入学する際には、英語力があれば有利程度で、高い英語力は求められないことも多いです。これらのことを鑑みると、母語能力やアイデンティティが確立し始めている中学校1年生からの留学すれば、海外の高等教育に進むための準備期間として余裕を持って過ごすことができます。
ちなみに、7年生での入学は高い英語力を求められませんが、9年生や10年生になると、多くの学校で願書提出時に中級~上級レベルの英語力を求められます。


中学校3年生からの留学


日本の中学校3年生は、小学校1年生から数えて9年生になります。アメリカやスイスなど海外の主要国は、9年生から高校生という扱いになるため、原則的に高校生からスタートします。(※中学生として入学できる場合もあります)。英語力の要求度は学校によって違います。初級でも入学できる学校はありますが、高い英語力があれば、学校の選択肢が広がり、より本人に合った学校を選ぶことができるでしょう。

世界には、多種多様なボーディングスクールが存在します。『学業よりスポーツや芸術に才能がありそうだから、できることならその才能を伸ばしてあげたい、可能性にチャレンジさせたい』と考えているなら、芸術やスポーツなどの分野で定評のある学校を選ぶと良いでしょう。

留学例

エディクムのOB・OG 7,800人以上の中から、中学生から留学したケースをご紹介いたします。

ケース1

12歳 小学校6年生
アメリカ
サマースクール 参加
13歳 中学校1年生
オーストラリア
ボーディングスクール 入学
16歳 高校1年生
アメリカ
ボーディングスクール 入学
18歳 大学1年生
日本
4年制大学 帰国子女枠 入学

ケース2

12歳 小学校6年生
イギリス
プレップスクール 入学
15歳 中学校3年生
イギリス
ボーディングスクール 入学
18歳 大学1年生
イギリス
4年制大学 入学

ケース3

13歳 中学校1年生
スイス
サマースクール 参加
14歳 中学校2年生
アメリカ
サマースクール 参加
15歳 中学校3年生
アメリカ
ボーディングスクール 入学
18歳 大学1年生
アメリカ
4年制大学 入学

中学生の留学実績・体験談


エディクムの子供たちは、ボーディングスクール、サマースクール、公立校含め、さまざまな学校に留学していきました。
以下に紹介していますので、ご覧ください。


ニュージーランドの準公立校に4年間通ったK.A.くん

学校名 Bethlehem College
学校の種類 準公立
滞在国 ニュージーランド
滞在開始学年 中学3年生
滞在期間 4年間
滞在方法 ホームステイ

留学がきっかけで起業、社長へ

K.O.くんは、日本の中学校を卒業後、Bethlehem College(タウランガ・ニュージーランド)のYear10(中学校3年生に相当)へ入学し、3年半後に同校を卒業しました。

【K.O.くんのプロフィール】 1991年12月、富山県小杉町(現射水市)で生まれ、小学校3年生まで富山県、小学校4年生から6年生は長野県松本市、そして中学校3年間は新潟県妙高市で過ごす。その後、高校時代にカナダへ行った兄、オーストラリアに10年住んでいた叔母の影響で、その他にもいくつかの理由から(後述する)、ニュージーランドへの留学を決める。 Bethlehem College卒業後は、早稲田大学政治経済学部経済学科へ入学し、大学1年時に、翻訳・通訳のウェブサービス会社を起業、その後、売却、そしてその資金を元手に、大学2年時に民泊事業を開始する。2015年、大学4年時に法人化。現在、ホテル・ブライダル・不動産・人材事業を中心に9社、30事業の会長を務める。

まさかの受験失敗から、ニュージーランドへ

最初に、留学できる環境を提供してくれた、両親には感謝をしてもしきれない。今でもよく考えることがある。もし私が、留学していなかったらどうなっていただろうと。 私の家系は、父をはじめ親族の大多数が医師であり、当然私も、将来的は医師になると幼少期から思っていたし、おそらく留学をしていなければ、昔から想像していたルートを歩み、今頃医師になっていただろうと、ふと考えることがある。そんな私が、なぜ留学をすることになったか。前述で、兄や叔母の影響が、と述べたが、最大の理由は、高校受験に失敗したからである。当時の私は、中学校に昼頃に登校し、ランチを食べ、友人達と遊んで、友人達の部活を遊び歩いた後、学校の部活外で習っていた極真空手に行く、という、自分でいうのもなんだが、適当な日々を送っていた。一方で、当時、新潟県内の中学校で最も生徒数の多い中学校で、試験の前日には徹夜で寝不足になりながら教科書を熟読し、隠れてこっそり勉強はしていたことから、自慢ではないが、定期試験では常に上位の成績を取得していた。そういった成績結果だけはしっかり出しているということもあり、学校に出席しなくとも煩く言われることもなく、かなり厄介な中学生であったと今にして思う。当然、その様な行動や、短期記憶に頼りきって毎度の試験に臨んでいたこともあり、高校受験も2週間前から勉強を始め、県内一の進学校のみを受験した結果、見事、不合格となったのである。中学の卒業式前の2月であったが、当時は根拠のない自信家だったこともあり、当然滑り止め校も受けておらず、高校で浪人することも想定しておらず、不合格の結果通知を受け取るという(今だから笑えるが)不測の事態に直面し、放心状態となってしまった。 その様ななか、3歳上の兄を短期の高校留学に送り出していた両親が、折角の機会なので、むしろこの結果を前向きに捉え、海外の高校へ進学したらどうか、と勧めてくれた。これから英語ができることが当たり前の世の中になり、また、幼い頃から日本以外の国も見てきて色々な文化、考え方を知り、視野を広げた方が良いと言ってくれた両親には、本当に感謝している。そして、当時やんちゃだった私は、何をしでかすか自他ともに分からず、自然豊かでのびのびと安全に暮らせる国、ニュージーランドへと留学することとなった。  

中学校3年をもう一度やり直す

英語はもちろん学年でトップクラスの成績を誇っていた私ではあったが、あくまで試験上の話で、それまで英語を話したことは殆どなかった。最後に海外へ行ったのは、中学2年生の時に2週間、叔母のいるメルボルンだったが、いざ現地に到着しても全く英語を聞き取れず、ひたすら黙り続けていた私である。そんな英語が話せない私は、まずYear10として、ニュージーランドの経済の中心地オークランドから南東に300km程度に位置するBay Of Plentyのタウランガという街にある、Bethlehem Collegeへ入学した。当時は、中3をやり直すのか!一刻も早く高校に進学したい!という焦った気持ちがありつつも、留学準備に2ヶ月かけ、入学した時は、既に6月であったこともあり、2月に学期が始まり11月に終わる南半球の学校のため、最初の半年は、英語の勉強と割り切り、勉強をすることとした。

2回のホームステイ暮らし

滞在方法はホームステイであった。最初の家庭は、過去10年近くにわたり留学生を受け入れているベテランホストファミリーであった。3人の子供がいたが、既に3人とも成人しておりオーストラリアで就職していたため、私は、ホストファザーとホストマザー、台湾人留学生の3名の家族の一員として加わった。ホストマザーが看護師で、ホストファザーが家事を中心に行っており、ニュージーランドらしい家庭で過ごせたのは、大変貴重な経験となった。ニュージーランドでは、つい先日まで国のトップである首相が女性であったし、就業におけるジェンダーギャップが世界的に見てもほぼ無いニュージーランドでは、今や、大学入学者は男性より女性の方が多いという現状もある。また、別の家庭も見てみたいという気持ちもあった私は、最後の年Year13の1年間は、既に香港人、韓国人の2名の留学生を受け入れていた、評判も良かったトンガ人のホストファミリー宅で過ごした。

打ち込んでいたスポーツ

ニュージーランドといえば、ハカやオールブラックスで有名な、国民的スポーツ、ラグビーである。私も高校は、中学から続けていた空手の延長で、地元のキックボクシング、ブラジリアン柔術、総合格闘技ジムに通いつつ、ラグビーに打ち込んだ。ラグビーは1軍には体重80kg以上ないと入れないという規定があり、身長171cmしか無い私は、肉とポテトを毎日食べ、体を大きくし、重めの服を着こんで、ギリギリ体重制限をパスすることができた。私の学校、Bethlehem Collegeは男女共学であったが、よく試合をしていた男子校は現地のマオリというニュージーランドの先住民族が多く、また、ハカを必ずといっていいほど試合前に踊り、地響きが鳴り、試合前には毎回ビビっていた。練習は週6とほとんど毎日あったが、練習という感覚もなく、皆遊びの延長でやっている感じであり、非常に楽しい思い出の一つとなった。週末の試合後には、ハンギというマオリ伝統料理を楽しみながら音楽を流し、パーティーに明け暮れ、楽しんだ。スポーツや音楽は、文化や風習の壁を越え、仲良くなるだけでなく、精神面も鍛えられ、コミュニケーションの上達にもつながり、一石三鳥であり、是非、これから留学する方にも、留学中の方でもまだ取り組んでいない方がいれば、現地の学生と是非、何かしら一緒に活動することをお奨めする。将来の財産に繋がるのは間違いない。

留学して良かったこと、総評

将来のためになるからと、留学に送り出してくれた両親に感謝すると共に、準備から、何も知らない土地での不安だらけの学校生活、留学後の進路相談まで徹底的にサポートして頂いた、エディクムのスタッフの方々には改めて深く感謝申し上げたい。

留学して身についたことは大きく3つある。 まず1つ目に、勿論、「英語力」である。今日、日本の大学在学中に留学する人は多いが、早い程、吸収力が違う。ただ、早すぎても良いという事ではなく、日本の文化、言葉遣い、経験を一通り吸収した中学卒業後というタイミングも、非常に良かったと振り返っている。 2つ目に、「柔軟な考え方」である。現地の人間だけでなく、自分と同じようなインターナショナルな留学生達とも交流を深めることにより、文化の壁を越え、物事をまずは受け入れ、吸収し、考えられる力が身についた。 そして最後に、「度胸」である。経験がない領域や場所での展開を0からワクワクして取り組めるようになった。これは今の仕事で、どの様な領域の事業でも私が展開できることに繋がっている。   最後に、現在、留学中の学生も、留学をこれから考えている学生も、この良い経験を最大限に活用すべく、是非色々と留学中にトライして欲しいと思う。


ニュージーランドのボーディングスクールに4年間通ったK.Y.くん

学校名 St. Paul’s Collegiate School
学校の種類 ボーディングスクール//私立
滞在国 ニュージーランド
滞在開始学年 中学3年生
滞在期間 4年間
滞在方法

国境封鎖が続くニュージーランドで思うこと

 私は2017 年1 月からニュージーランドで学んでいます。こちらにはYear10(日本の中学校3 年生に相当)として入学し、現在、オークランド大学の2 年生でコンピューターサイエンスを専攻しています。

 私は友達のお父さんに勧められて、2016 年の夏にイギリスでのサマースクールに参加しました。その時、初めての海外での経験にショックを受け、自分も留学してみたいと思ったのがニュージーランドの中高校に入学したきっかけです。サマースクールでは日本で当り前ということが非常識だったり、日本ではあり得ない経験ができ、新しいことを学ぶということに対するモチベーションがすごく上がりました。例えば、自分が所属していた中学校は、地元でも歴史のある学校でしたが、授業はノートと筆記用具を使うのが定番でした。しかし、イギリスの学校では、タブレットをはじめとしたITを最大限に用いるのが当たり前であり、自分の意見を発表するのも当然と考えられています。それはニュージーランドの学校でも同じでした。

 ニュージーランドには右も左もわからない状態で到着した為、当初は英語を話すこともままならず、とても苦労したのを今も鮮明に覚えています。留学開始当初は、言葉が話せないなか友達を作るのが難しく、コミュニケーション不足によって先生から注意を受けたり、ホームシックになったりと大変でした。なかには英語が話せないためにトラブルに巻き込まれたこともありました。私が在学した学校(*注St Paul’s Collegiate School)は10 年生の半分の期間を山のなかにあるキャンパスで過ごすTihoi と呼ばれる特別プログラムがありました。一般の教科の学習もしますが、アウトドア活動に多くの時間を費やします。日常生活の様々なことが当番制で決まっており、本来の当番の学生が忘れていたり、さぼったりしたことを英語力がない自分のせいになったりと、災いが降りかかり、悔しい思いをしたこともありました。また留学生は殆どおらず、意思疎通を図るのが難しく、心が折れそうになることも複数回あり、留学をやめようと何度も思いました。留学の全てが楽しい記憶というわけではありません。

 しかし、こちらで時間を過ごしコミュニケーションが図れるようになるにつれ、留学が充実した日々へと変わってゆき、今では毎日、大学へ行くのがとても楽しい、と心から思います。大学のキャンパスは自由な雰囲気に溢れ、特段、先生に指示されたり、課題をやりなさい、と言われることはありません。全て自己責任ですが、その自由で好きなことができる環境が心地よいです。プログラミングの学習で、チューターと呼ばれる指南役の学生と頻繁に言葉を交わし、今までの自分とは交流が無かった学生グループとも親しくなりました。こちらは18 才が成人年齢ですので、18 才の誕生日はホストファミリーが盛大に祝ってくれました。コロナ禍で日本へ帰国することが叶わないなか、とても印象に残った出来事のひとつです。

 留学は私にとって人生を変える大きな第一歩になりました。また留学を通して色々な機会に恵まれ、世界各国からの色々な人と交流することができ、とても貴重な経験になっています。世界ではまだコロナウイルスの収束が見通せず、入国制限や規制などが続いています。大変な状況ではありますが、これから留学を考えている方は是非前向きに検討してみてはいかがでしょうか?百聞は一見に如かず、経験から学ぶことは本当に多く、人生を変えるきっかけになるかも知れません。

*St Paul‘s Collegiate School  ハミルトン(北島)にある私立寮制学校で、Year 9 & 10 は男子のみ、Year11~13は男女共学です。Tihoi Venture School は、タウポ郊外にあり18 週間にわたり自然に戻って生活するアウトドアアドベンチャープログラムです。学校の指針は“冒険を通じて個性の成長”に基盤を置いています。

(写真:右)


ニュージーランドの準公立校に6年間通ったT.O.さん

学校名 St. Matthew’s Collegiate School
学校の種類 準公立
滞在国 ニュージーランド
滞在開始学年 中学1年生
滞在期間 6年間
滞在方法

留学2年目の体験談

私は今中学2年生でニュージーランドに留学しています。私が留学しようと思ったきっかけは、私の姉2人がSt Matthew’s Collegiate Schoolを卒業しており、妹の私にはかっこよく見えて、尊敬していました。私はもっとたくさんの人に会ってみたいという興味を持ちました。そして尊敬している姉たちの背中を追いたいと思い留学という道を選びました。

 最初ニュージーランドに来た時は不安でしょうがなかったですが、内心はワクワクしていました。最初はホームシックになったり、驚くことがたくさんありましたが、ニュージーランドは心が温かい人が多く、みなに励まされ、この壁を乗り越えました。ニュージーランドに行った姉たちのすごさがわかりました。今までで一番心に残っているのは、インターナショナルの友達との思い出です。インターナショナルの友達は私にとって同じ立場の友達であり何でも言い合える仲です。寮でも一緒で家族に近い友達です。一緒に街に出かけたり、公園で遊んだり、色々な時間を共有し、悲しかった時間も支えてくれた大切な友達です。留学して最高の仲間と出会うことが出来たのが留学してよかったことのひとつです。

 現地の子はみな心が温かい子ばかりで、英語が理解できなかった私にも優しく接してくれました。現地の子はいつも気にかけてくれたり、すごく優しい子がたくさんいます。先生たちもとても優しく、分からない授業の個所を重点的に教えてくれたり、ゆっくりわかるまで話してくれたりするので良く理解できました。ニュージーランドにはネットボールというスポーツがあり、他にもホッケーやサッカーやバドミントンなどが冬のスポーツにあります。その中で私はネットボールに挑戦しました。練習はすごくハードで試合もありましたが楽しかったです。他にも私はオーケストラとジャズバンドに参加しています。私はジャズバンドとオーケストラでトランペットを演奏しています。最初ニュージーランドに来た時、トランペットを吹けませんでした。しかし、音楽の先生からジャズバンドでトランペットを吹いている人は一人もいないと聞き、私はトランペットを演奏することに決めました。私はトランペット初心者だったので週1回あるトランペットのレッスンを受け、約1年間練習しました。そして次の年、私はオーケストラとジャズバンドに参加しました。オーケストラとジャズバンドは違う日にそれぞれ週1回ずつあり、多くの楽器が揃っています。音がみなと揃った時はすごくうれしくて楽しいです。留学生活で色々な人に会ったり、充実した毎日を過ごしています。英語力についてはリスニングはほとんど理解できるのですが、今後は苦手なスピーキングを積極的にやって、より楽しい留学生活を送りたいです。


イギリスのサマースクールに参加したS.O.さん

学校名 Bede's Summer School
学校の種類 サマースクール
滞在国 イギリス
滞在開始学年 中学2年生
滞在期間 3週間 2024年7月
滞在方法

充実した3週間のサマースクール

私は、この夏、イギリスのビーズサマースクールに3週間行ってきました。正直、最初は不安がたくさんあって、とても心配していました。だけど、実際行ってきて振り返ると楽しい思い出ばかりで、本当に充実した3週間を過ごすことができました。

私が行った時は、日本人が誰もいなくて、着いた日はルームメイトと少し話しただけで、友達が本当にできなかったらどうしようと、とても不安でした。しかし、日数が経つうちに、クラスメイトやルームメイトと仲良くなることができ、帰る頃には、トルコ人、ブラジル人、ベトナム人などたくさんの国の人と仲良くなることができました。みんな優しい人ばかりで、自分の国のことにいろいろ興味を持って聞いてくれて、いつの間にか不安が消えていました。たったの数週間でも本当に仲良くなることができ、約5ヶ月経った今でも連絡を取り合っています。

この研修の中で一番楽しかったのは、やっぱり友達と一緒にご飯を食べたり、遊んだりしたことです。みんなで冗談を言い合ったり、スポーツを一緒にしたりするのがとても楽しくて、どんどん絆も深まっていきました。また、アクティビティや遠足もたくさんあってどれが一番楽しいか選べないほど全部楽しかったです。アクティビティは、スポーツや演劇、折り紙など、たくさんある中から選べたし、遠足も毎回違うところに行けて、とてもよかったです。 また、文化の違いを肌で感じることができました。クラスで国の文化について発表する機会があって、今まで知らなかった国についても知ることができました。言語の壁があるかと思っていたけど、実際は全然感じなくて、みんな話をよく聞いてくれるし、積極的に会話をすることがとても大事だなと感じました。

この研修を通して、様々なことを学んで、成長することができました。毎日楽しいことがたくさんあって、本当にいい友達と出会うことができてよかったです。3週間という短い期間だったけど、一生の思い出を作ることができて、充実した3週間を過ごすことができました。また機会があれば行きたいです!


イギリスのサマースクールに参加したS.N.さん

学校名 Bede's Summer School
学校の種類 サマースクール
滞在国 イギリス
滞在開始学年 中学3年生
滞在期間 4週間
滞在方法

Bede’sでは、前半2週間は英語研修、後半2週間は動物学のプログラム(Zoology & Animal Management)の合計4週間参加しました。特に後半の動物のプログラムが楽しかったです。参加者は14人と少人数で、スペインやラトビアなどの学生と一緒に、動物の分類、生態、自然保護などについて勉強しました。午前中は大学の生物学の先生の講義、午後は校内のミニ動物園で動物の餌づくりや餌やり、飼育スペースの掃除などのお世話をしました。学校にはリスザル、ミーアキャットなどの小型哺乳類、爬虫類や両生類などがたくさんいて、毎日動物と触れ合う機会があり、とても可愛かったです。日帰り旅行では動物の保護施設にも行きました。ヨーロッパバイソンの繁殖施設や、アフリカの動物の保護センターに行くこともできて、さらに動物への興味が湧きました。専門用語の学習や英語でディスカッションをすることは難しかったですが、英語自体の勉強ではなく、英語を使って興味のある分野を勉強したことで、英語での発言にも自信がつきました。小さい頃から、動物園を訪れ動物の観察をすることが好きでしたが、最近は飼育員さんの目線で見て、動物の世話をすることに興味をもっています。


カナダのボーディングスクールに5年間通ったA.U.さん

学校名 Balmoral Hall School
学校の種類 ボーディングスクール
滞在国 カナダ
滞在開始学年 中学1年生
滞在期間 5年間
滞在方法

自信の可能性を見つけたカナダ留学

私はカナダのマニトバ州、ウィニペグ市にあるBalmoral Hall School に中学一年生から通っています。今までの5 年間半を振り返ってみると、とても充実した生活、そして一生味わえないような経験をすることが出来ました。しかしそれと同時に親元を離れて上手に暮らす事の大変さや、慣れて来てからの苦悩もありました。そしてその経験を通して私自身とても良い意味で変われたと思います。 私が留学生活を通して身に付けた能力は主に2 つあります。

1)向上心の芽生え

まず一つは悔しいという思いから芽生えた向上心です。私は元々中学一年生だったということもあり、あまり将来の夢について深く考えておらず、ただ英語が喋れるようになりたい!という意思のみで留学を始めました。留学当初はほぼ英語が話せず(who, what, when の違いもよく分かっていませんでした…笑)、授業についていくので精一杯だったのですが、ある日から英語力向上のために、クラスで行われるディスカッションに参加しようと思い、つたない英語で参加するようにしていました。しかし先生に、私の英語は私語と捉えられてしまい、静かにするように、と怒られてしまいました。その時、私は自分の英語力の無さに改めて気付かされました。悔しいと思うと同時に、負けず嫌いな自分の性格上、その悔しいという感情は私がもっと英語を話せるようになりたいという向上心に変わりました。そして綺麗な発音の練習や単語量を増やす勉強を続けるようになり、一年後、同じ先生に発音とディスカッションへの参加を褒められた時はとても嬉しく思い、同時にあの時の悔しさとその後の向上心は忘れてはいけないと思いました。これからも悔しいと思う気持ちを大事に、努力する事を辞めずに成長したいと思っています。

2)自らを信じること、将来へ向けて

二つ目は自分自身の可能性を見つけ、それを信じる力です。私は留学前、とにかく勉強が苦手で、小学校の先生に留学に行く事も心配されていた程でした。カナダに来ても勉強への苦手意識はあまり薄れず、英語もままならなかったため、とりあえず言われた事だけをやるようにしていました。その頃は自分自身の得意分野や自分の可能性があまり分からず、よく自己紹介で聞かれるあなたってどんな人?という質問に答えるのが苦手でした。中学三年生になった頃、数学を教わっていた先生に、「貴方はとても好奇心が強いし、好きなものに集中できるから理科系なんか興味あったら楽しいんじゃない?」と言われ、初めて自分自身の事を理解しようと思うきっかけが出来ました。先生の言葉と、自分を客観的に見ようと思った結果、自分の好奇心は勉強に活かせるかもしれないと思い、勝手に苦手だと思っていた理科系のクラスに興味が湧きました。そして前にクラスで行った解剖が好きだったから、という理由のみで高校一年生になってしっかりと理科に取り組むようになりました。もちろん難しいと思う事が多かったのですが、私の好きなものに集中できる力、のおかげかあまり苦ではありませんでした。そして、私は、数学の先生が仰ってくださった、自分自身の可能性を大事にしたいと思ったので、好奇心を忘れないように、少しでも気になった事があれば全て先生に聞くようにしていました。高校三年生の今は、医学部を目指したいと思えるほど理系科目が好きになりました。小、中学生の時の私からすると思いもしなかった夢なので、自分の可能性に気づかせてくださった先生にはとても感謝しています。

3)コロナ禍の今思うこと

そして2020 年は全世界の人にとって、とても衝撃的で「普通」とは全く違う一年になったと思います。私も例外ではなく、色々な影響を受けました。私はこのウイルスによって失われたもの、そして逆に新しい考えも得られたと思います。私が思うこのコロナウイルスで失ったものは、人と人の関わりだと思います。インターネットが発展した今、リモート授業、そしてテレビ電話などで人と関わる事は難しくありません。しかしやはり画面越しでは、その場の空気感があまり伝わらなかったりして、実際に会って話すよりも人と人の関係を深めるには良いツールではないなと思います。もちろんインターネットは使い方によって私達の生活に必要不可欠である事は間違い無いのですが、やはり人が成長するにはバーチャルではなく、直接関わる事が重要だという事をオンライン授業などを通して感じました。そしてこのコロナウイルスで得た私の新しい考えは、これからの世界は世界が手を結び、協力してウイルスと戦う事が重要、という事です。ウイルスは歴史を変えるということはよく言われていますが、コロナウイルスをきっかけに、世界が良い方向に変わるといいなと思います。WHO や国際機関などがいち早く正しい情報を世界に発信したり、国同士が情報を秘密にしたりせず、世界が連携して、いつまたやってくるか分からない未知のウイルスに備える事が重要だと思いました。


カナダのサマースクールに参加したY.I.くん

学校名 Pickering College
学校の種類 サマースクール
滞在国 カナダ オンタリオ州
滞在開始学年 中学校2年生
滞在期間 4週間
滞在方法

参加した感想

Pickering Collegeを離れる時、頭が割れそうになるくらいまで僕は泣いた。多分、皆そうだと思う。4週間ほぼずっと共に過ごした友達が少しずつ帰って行ったからだ。最初の飛行機の中では一言もしゃべらなかった日本人達とも仲良くできた。でもなるべく普段は他の国の子としゃべる努力をしていた。学校に着くまで、「多分、一週間ぐらいたたないと仲良くなれないかなぁ」と思っていたけれど、着いて車を降りた瞬間から話す事ができた。今までほぼ習うだけで、一日中英語を使う機会はなかったので、自分の持っていた英語力が自分の思っていた以上に低かったのに驚いた。なので日本に帰ってからもっと真剣に英語を勉強して、まるで母国語のように話したい。

前のサマーキャンプから「留学したい!」と思っていたが、今回で本気で留学したくなった。Facebookなどでいつもキャンプの友達と連絡を取り合っていて、いつも「皆に会いたい!カナダに戻りたい!」と考えています。こんなに楽しいキャンプに参加できたのはEDICMのスタッフの方々のおかげです。本当にありがとうございました。


スイスのサマースクールに参加したR.O. さん

学校名 TASIS Switzerland
学校の種類 サマースクール
滞在国 スイス ルガノ
滞在開始学年 中学校3年生 TSP(14-18歳対象のプログラム)
滞在期間 3週間
滞在方法

参加した感想

一番不安だった英語はなんともならなかったけど、一つ得意なスポーツがあっていろんな国の人々と仲良くなれたので、楽しく過ごすことができた。こうして、他国の人と接してると国籍に関係なく、気の合う人はどこにでもいるんだと分かった。初めの一週間は長いが残りの二週間は短く感じると聞いていたが、全くその通りだった。フリータイムが長かったから色々遊んだり、ゆっくり休んだりできて何も飽きることなく過ごせた。


アメリカのボーディングスクールに3年間通ったK.S. さん

学校名 The Hun School of Princeton
学校の種類 ボーディングスクール(共学)
滞在国 アメリカ ニュージャージー州
滞在開始学年 中学校3年生
滞在期間 4年間
滞在方法

The Hun School of Princetonに留学して2年が経ち、この秋、3年目を迎えようとしています。この2年間、大学受験に向け、塾に通い、考え方が合わない学校で悔しい思いをしていた中学生時代には想像もしていなかった毎日を送っています。留学ということを考え始めた頃、「アメリカに行っていろんなことを学ぶんだ!」という期待で胸をふくらませていました。学校が始まり、何もかも初めて経験することばかりで戸惑うことも多く、何をするにしても周りの何倍も時間がかかってしまう自分に苛立ち、また情けなく思う日々もありました。1年目を終えた頃、漸くアメリカでの寮生活、自分の状況を楽しめることができるようになりました。

海外のサマースクールへの参加

1年目を終え、今まで参加してきた高校主催のサマースクールとは違い、大学キャンパスで行われるSummer Discovery @ Georgetown Universityに参加しました。スケジュールに従って行動するサマースクールとは違い、自分の時間をどのように使うのかをしっかり考える必要がありました。大変な分、よりいろんなことに挑戦、参加する機会が多かったように感じます。

ベトナムのボランティアに参加

2年目の春休みには、ベトナムで行われたCommunity Service Tripに参加しました。数日間ホーチミンに滞在し、ベトナムの歴史や人々の街での暮らしについて学び、このTripのメインであるボランティアをするためにメコン川流域にある小さな町に向かいました。現地ではホームステイをする予定でしたが、学校の許可が下りず、結局少し離れた街のホテルから片道2時間かけて現地に通いました。私たちの仕事は、Ms. Naというベッドから落ち半身不随になり地域で一番貧しい生活を強いられているおばあさんとその家族のために雨期を凌げる新しい家を建てることでした。何もない平らな土地に、一から家を建てるのは大変でしたが、地域の人たちの協力もあり、1週間という短い期間で家を完成させることができました。

「孫が地面をハイハイできる家に住む」というおばあさんの長年の夢が叶い、泣いて喜んでくださったことは一生忘れないことだと思います。最後の日、地域の子供たちにアメリカから持ってきた筆記用具をプレゼントしました。子供たちの勉強をしたいという強い思いにボランティアに行った私たちの方が勇気付けられました。


ベトナムの子供たちと


アメリカのボーディングスクールに2年間通ったM.T. くん

学校名 Northfield Mount Hermon School
学校の種類 ボーディングスクール(男子)
滞在国 アメリカ マサチューセッツ州
滞在開始学年 9年生
滞在期間 2年間
滞在方法

ぼくのアメリカ留学1年目はあっという間に過ぎてしまった。自分のfreshman yearが終わってしまったことにまだ実感というものがもててない。ただ、本当にいろいろなことを学んだ1年だったと思う。かけがえのない友たちとの出会い、寮生活、全く違う勉強法、スポーツetc. 楽しかったこと、落ち込んだことなどいろいろあった。すべてをここに書ききることはできないので、かいつまんで書かせていただく。

学校の紹介

ぼくが留学中の学校は、Northfield Mount Hermon(以後NMH)という、マサチューセッツ州の山の中にある学校。キャンパスがとても広く、自然に囲まれていることが魅力だ。ぼくは面接で訪れた際、『この学校に入りたい』と強く思った。TOEFLとSSATの点数が非常に低かったぼくは、受かることさえないと思っていたが、奇跡的にぼくは受かった。

ぼくがNMHに着いたのは、まだ暑さの残る8月の終わりだった。Registration にいくと、そこにはたくさんのアジア人がいた。しかも皆親と一緒に来ていた。親がいないのはぼく位のものだった。ぼくは恐る恐る長い列に並んだ。自分の番を待っていると、後ろから話しかけてきた親子がいた。しかも日本語で、だ。よく見ると、見覚えがある。それは面接の時たまたま一緒だった親子だった。それがぼくとYとの出会いだった。

Yは生粋の中国人なのだが、日本で生まれたため、日人の名前をもっている。だが日本語はほとんど話せない(中国語はぺらぺらである)。Yとぼくは、部屋が近かったり、取っている授業が同じだったしたため、すごく親しくなった。週末に中華の出前をとったり、女の子の話をしたり、テニスをしたりして過ごした。時には、他の数人の友だちとホラー映画をみたり、ゲームをしたりした。来年からはそれぞれ別の寮に入るが、こんな関係を続けられたらいいと思っている。

授業について

学校の勉強は簡単ではなかった。毎日宿題が出るし、授業にも集中していないとついていくことができない(単に自分の英語レベルの問題かもしれないが)。特にぼくは、Essay(作文のようなもの)に苦労した。ESLのクラスではEssayがよく出されるのだが、はじめの頃、ぼくはC (65点くらい)しかとれなかった。先生によれば、文法がめちゃくちゃだという。自分でも改善しようとしたが、どんなにあがいてもCランクから脱出することはできなかった。中間の成績はC+ (70%)だった。ぼくは家族やadvisor(担任のようなもの)と話し合い、tutorをつけることにした。Tutorとは家庭教師のようなもので、週1で会い、essayの中にある文法の間違いなどを直してくれる。Tutorを受け始めたとたん、いままで気づかなかったようなシンプルな間違いにも気づき、修正することができた。Tutorをはじめてから、ぼくのessayの成績は、B-、B、B+と上がっていった。年度末にはA-も一回だけだが取った。うれしかった。

もう一つ勉強で言えば、毎週出される単語クイズにも苦しんだ。毎週30-60の単語が課題として出され、そのうち10個がランダムにテストに出る(先生はテストの5分前にどの単語を出すかを決めるため、山をはるのは相当難しい)。最初のころ、ぼくの単語テストの成績は散々たるものだった。ある日、ぼくは仲の良い女友達にそのことをぐちっていた。すると彼女はこういった。『あら〜そんなの簡単よ〜。紙に書いて2、3回読めばいいだけ〜。』ぼくはその方法を実践することにした。すると、その次の単語クイズで90点を取ってしまったのだ。これにはぼく自身たまげた。他にも、日本では絶対とれないような授業もある。例えば、ぼくがとっていたtheater production(演劇)の授業では、舞台の裏方ことについて学び、実際の劇で裏方をやったりする。とても楽しい授業だった。

アメリカでは勉強だけをしていればいいわけじゃない。スポーツもしなければいけない。アメリカではシーズン(秋、冬、春)ごとに違うスポーツをする。しかも誰でも好きなスポーツができるわけではない。ほとんどのスポーツにはトライアウト(選抜)があり、規定の人数だけがチームに残れる。サッカー、バスケ、テニスなどは半数ぐらいの人がチームに入ることができない。ぼくは、秋はサッカー(3軍)、冬は水泳(2軍)、春は野球(2軍)をした。運良くどのシーズンも自分のやりたいスポーツができた。どのチームの練習も、1-2時間とコンパクトで、そんなに厳しくもなかった。

ただ毎週のように試合やレースがあった。しかも2軍や3軍だと、練習場が寮から遠かったり、夕食の時間帯に練習があったりする。冬に水泳をやっていたときは、夕食の時間帯に練習があったため、練習後急いで着替え、食堂に向かい、料理を胃袋につめこんだ。それでもスポーツの時間はとても楽しかった。いろんな人と出会い、心身ともにみがくことができた。1軍に一つも入れてないのは悲しいことだが、来年、再来年と実力をあげ、すべてのスポーツで一軍に入れればと思っている。

寮生活について

寮生活でかかせないのが、ルームメートの存在である。ぼくのルームメートはHという台湾人だった。彼の評価は賛否両論だが、ぼくに言わせると、一緒に住んでみて悪いやつでは無かったと思う。ただ毎週のように自分の彼女と電話越しにけんかをするのには参ったが。彼はある日、2段ベットの上から落ちて記憶をなくしたという騒ぎまで起こした(真偽は定かではないが)。来年はそれぞれ違うルームメートをもち、寮も別々になる。来年からは勉強も難しくなるし、SATなどのことについても考えはじめなければいけない。まあ大変なこともいろいろあると思うけど、がんばって行きたいと思う。


仲良くなった友人Y、ルームメイトのHと。



アメリカのボーディングスクールに4年間通ったT.S. さん

学校名 Dana Hall School
学校の種類 ボーディングスクール (女子)
滞在国 アメリカ マサチューセッツ州
滞在開始学年 中学校3年生
滞在期間 4年間
滞在方法

留学のきっかけ

幼稚園時代の3年間、家族と一緒に、アメリカで過ごしました。そのため、私も両親も異文化で暮らすことには抵抗はなく、私自身もいつかは留学したいと常に思っていました。 そんな中、中学2年生の秋、母とのたわいもない話をしている時に留学の話題が出てき て、これだ!と思ったのがきっかけです。それから、母がいくつものエージェントに話を聞 きにいった中で出会ったのがエディクムでした。

学校を選んだ理由

私はDana Hallの他にも7校受験しました。通っていた中学校が女子校だったこともあり、 受験校も半分は女子校で、Dana Hallはそのリストの中で一番レベルの高い学校でした。2 月に両親と共に全ての受験校を訪問した上で気に入った学校を決めようとしましたが、ど の学校も特有の校風を感じさせるキャンパスで、その迫力に驚いたのを覚えています。

8校の中でも、Dana Hallは唯一ボストンから電車で30分、街にもすぐ歩いて行けるような立 地にあり、新しいスポーツセンターと女子校らしいきれいな校舎に魅力を感じました。 ESLのプログラムがない学校で、ついて行けるか不安はありましたが、 チャレンジして損はないと思い、Dana Hallに行くことを決意しました。

入学した当初

Dana Hallはセブンシスターズの一大学であり、 ヒラリー・クリントン女史の出身校でもあるウェズリー大学の付属女子高校として1889年に設立されました。 歴史と伝統のある学校で、キャンパスもアカデミックな雰囲気に包まれみんな大変勉強熱心でした。 ESLプログラムがなかったので、英語力が足りなかった私にとって最初の年は辛かったのを覚えています。

ずばり、私のサバイバル術のキーは時間をどれだけ有効に使うかでした。 当たり前のように聞こえるかもしれないですが、全てに関して自己管理をする、 注意してくれる親もいない留学生活を経験して初めてその重要さに気がついたのかもしれません。 そのため、勉学だけでなく、スポーツや課外活動も強いられる中で、 私は自分の趣味などのための時間も作ることができ、充実した4年間を過ごすことができました。

学校の雰囲気・学校生活

女子校だから男の子がいなくてつまらなそうと言う方もいますが、 女子校ならではの楽しみも数えきれないほど沢山ありました。 特に、Dana Hallには数多くの伝統行事があり、上級生と下級生の関わり合いが多く、 学校内の雰囲気もフレンドリーで、上級生と下級生の関係はまるで姉妹のようでした。

行事の中には、出席した人しか知り得ない、経験することができないものも多くあります。 中でも、印象に残ったのは、年度始めに行われる“Senior-Sophomore”です。 この伝統行事は、100年以上も受け継がれています。 元々はSenior( 12年生)がその頃は最も下の学年であったSophomore( 10年生)を新入生として歓迎する行事でした。 SeniorはひとりずつSophomoreに付き、行事当日の服装などをアレンジします。 Sophomoreは自分のSeniorが誰か知らされないまま、 当日まで自分がどのようなコスチュームを着せられるのか少しずつヒントを与えられます。 それは、パッケージだったりメモや手紙だったり、 Seniorは工夫を凝らしていきます。カウントダウンに入ると、 毎日お菓子がたくさん乗っかったポスターをもらい、 前日の夜にはSeniorがSophomoreに知られないように、 自宅の部屋を飾り付け、お菓子まみれにします。

当日はSophomoreの変装で学校中がハロウィーンみたいになり、 その晩、SeniorとSophomoreのみの晩餐会で相手が分かる、という伝統行事です。私がSophomoreの時、前日の夜、図書館から帰ってドアを開けようとしたところ、 風船や飾りで部屋がごった返していてびっくりしたのは忘れられません。 ちなみに、私は原始家族フリントストーンのベティ・ラブルになり、私のSophomoreはスーパーマリオになりました。

留学生活中に身についたこと

自律心、冒険心、愛国心、そして世界中の友達です。 一人でも容易に旅に出掛けられるようになりましたし、 美味しい食事や温かいお風呂、 家族での団らんなど前は当たり前のように思っていたことにも感謝できるようになりました。 さらに、日本人が私を含め2人しかいない中、立派に日本の代表になれるようにと自分への責任意識も高まりました。

やはり、最後にとても印象に残ったのが東日本大震災です。 まさか、留学している間これほどまでの大惨事が起こるとは想像すらしていませんでした。 震災当時、日本にいる家族ともしばらく連絡をとることができなくて取り乱していた中、 そこでも支えてくれたのは学校の友達と先生でした。 仲間に助けられながら、私はプレゼンテーションで日本の惨事を伝え、 募金活動と千羽鶴のプロジェクトを呼びかけました。 この経験で、未曾有の震災の中でも日本の強さに誇りを感じ、 家族や友達の存在の大きさも改めて実感することができました。

今後について

この4年間で英語力を培うことができたのはもちろんですが、 この留学経験は自分のしたい事や才能を気づかせてくれました。 学校では勉強だけでなく、絵画やスポーツを思いっきり楽しむことができたので、 今後も勉強や仕事だけでなく、絵画やダンス、ゴルフや旅行などの自分の趣味も両立していきたいです。 さらに、学校での暮らしの中で、様々な国の文化や慣習や思想に触れることができました。 これから大学で専攻する経済学の視点で、国々がどのように関連し合っているのか学ぶのも楽しみです。



アメリカのボーディングスクールに7年間通ったR.S.くん

学校名 The Fessenden School / St. Mark`s School
学校の種類 ボーディングスクール (男子)
滞在国 アメリカ マサチューセッツ州
滞在開始学年 小学校6年生
滞在期間 7年間
滞在方法

留学のきっかけ

小学校の低学年から北米のサマーキャンプに行っていたので、海外の学校で学ぶことには興味がありました。当時小学生の僕がどれほど真剣に留学について考えていたかは正確には覚えていません。このまま他の世界を知らずに、小学校から大学まで変わらない環境で育つことは寂しいなと思ったのは確かです。そこで夏休みだけでなく、海外の学校で学ぶ決断をしました。

学校を選んだ理由

東海岸のボーディングスクールに数校ほど出願しました。男子校で高いレベルの教育が受けられ、スポーツが強い学校に入学したかったため、それにマッチしたのが、Eaglebrook と The Fesseden School でした。両校とも魅力的で、環境も抜群でした。ただ、学校訪問のときに直感的に自分に合っていると思ったのがFessenden でした。学校のパンフレットやウェブサイト上の情報も学校選びの材料として重要ですが、やはりキャンパスに初めて踏み込んだ瞬間に自分がこの学校に合っているかは大体分かります。

入学した当初

ジュニアボーティングの良さは、やはり世界中から集まった生徒や現地の生徒と寮で共同生活出来ることです。僕のように6年生から海外の学校に通うことでもちろん言語力も向上しますが、他国の学生との寮生活を通じて得られる経験はまた特別だと思います。それは、若い時から現地の生徒と長い時間を過ごすことで、現地の文化や考え方も自然と身に付くからです。言語を純粋に学ぶことが留学の目的ではないので、留学するからには現地の文化やライフスタイルに染まる勢いで生活しないと全く意味がないと思っています。もちろん、日本人としてのアイデンティティを捨て、アメリカ人になれと言うのではありません。しかし、留学する理由を考えると、自分が日本に住み続けていただけでは得られない経験を積むことは一つの大きな動機となるはずです。そのためには、現地の生活習慣、考え方、文化、スポーツ、流行の音楽まで全てを吸収して、よりバラエティに富んだ人間になることが重要であり、それを可能にするのが留学、特に小学校からのジュニアボーティングだと思います。

高校進学について

受験時期は正直大変でした。秋にニューイングランド地方の学校を両親と共に10校以上訪問しました。1日に3校回った日もありました。また願書のエッセーを納得いくまで何度も書き直しました。その時に一番思い出すのは、出願数週間前の感謝祭の休みに、友達の家に一週間泊まり込み、一緒にエッセーを朝から晩まで書き続けたことです。9年生で最終学年ということもあり、冬休みまでは勉強がとても忙しく、学校ではなかなか願書が書き終わらず、結局休みの一週間で必死に書き終えました。多くのシニアボーディングから合格をいただき、最後は校長先生と面接をしたSt.Marks Schoolに進学しました。

高校生活

シニアボーディングではジュニアと比べはるかに自由時間があります。一日の大まかなスケジュールは決まっていますが、時間の使い方は自分次第です。そのため、何もせずに部屋でぶらぶらすることも可能ですし、友達と一緒に外で遊んだり、買い物をしたり、図書館で勉強することも出来ます。時間・ルールを守れば、誰も何をしてはいけないとは基本的には言いません。間違った時間の使い方はないと思います。ただ高校を卒業してから、3年間を振り返ってみると、もうちょっと勉強出来たかな?と思う時期もありますが、オールシーズン全力でスポーツをして、試験前にルームメートと遅くまで一緒に勉強した、友達と過ごした一生忘れられない時間を考えると、高校時代の3年間は自分なりに有効かつ最高に楽しく過ごせました。

留学中の成功の秘訣

一つ挙げるとすれば、自分が他人からどのように思われているかを気にしないことです。留学当初は英語なんてしゃべれる訳もなく、ネイティブの人に笑われたり指摘されたりします。ただ、それで恥ずかしいから話すのを控えるとか、他人からどう見ているかなどを過剰に意識してしまうと、英語も上達しないし、私生活でも人間関係が広がらず、つまらない留学生活になってしまいます。実際、どんなに英語が下手でも積極的に話しかけてくる人に対しては努力してコミュニケーションをとろうとするし、周りには英語が母国語ではない人も大勢います。そして、生徒の人種、出身地、宗教などの背景がそれぞれ異なるため、最初は英語がしゃべれなくても、別にそれだけで人を判断することはありません。そのため、他人からの目線を気にして自分の殻にこもるのは留学をする上で成功を妨げます。

留学生活を振り返って

僕にとってこの7年間は夢のような時間でした。留学が終わった今、正直寂しく、戻れるなら戻りたいです。そして、現在の自分のベースとなっているのはアメリカでの7年間です。留学生活なしに今の自分はありません。英語ができるようになったのはもちろんのこと、自分により多くの興味を持たせてくれたのが留学です。例えば、オペラ鑑賞や美術です。高校まではオペラに全く興味がありませんでした。しかし、10年生の時に鑑賞して以来、毎年ニューヨークまでオペラを観に行きました。そして、美術史の授業を履修しました。元々は、卒業に必要な美術の単位を得るために友達に誘われて履修した授業なのですが、結果的には高校時代で一番好きな授業となりました。日本に帰国後も度々美術館に足を運ぶようになり、美術にほとんど無関心だったのが、今では大好きなスポーツに並ぶほど関心を抱くようになりました。

このように、新しい自分を見つけられる機会を与えてくれたのが留学でした。今自分が大学生になって様々なことに興味を持ち、挑戦することの重大さを感じています。大学という場所で勉強し、サークルや部活に励むことは大切ですが、ただそれだけでは何千人もいる他の学生と何も変わりません。その大学に通っている学生の一人というだけです。先ほど述べたように、バラエティ溢れる人間になることがとても大切だと僕は感じます。海外生活を通じてそのような人間になるために関心の有無を問わず、知らないことに積極的に挑戦する姿勢が必要だと感じます。

今後について

幼い頃から将来はスポーツ分野で活躍したいと思っていました。もちろん、選手としてではなく、スポーツ産業に携わる人間としてです。まだ、具体的にどのような職業に就きたいかは決めていませんが、日本のスポーツ産業をアメリカにあるような巨大なマーケットに発展させることが目標です。アメリカでの生活を通して、本場のスポーツビジネスというのを目の当たりにし、将来自分もアメリカで見たようなスポーツ産業というのを日本にも確立したいと思うようになりました。

後輩へのアドバイス

アメリカで過ごした7年間に苦労はあっても辛い思い出はほとんど記憶にありません。海外で生活させてもらっているのですから。留学をこれからする人、またしている人には辛い思い出なんてなかったと将来思えるような留学経験をしてほしいです。そのためには、卒業までの限られた時間で精一杯留学生活を楽しむことが大切です。もし精一杯楽しみたければ、時間を無駄にせず遊ぶときはとことん遊び、勉強するときは集中して終わらせるというメリハリをしっかりつけることが鍵となります。


アメリカのボーディングスクールに4年間通ったR.W. くん

学校名 Mercersburg Academy
学校の種類 ボーディングスクール (共学)
滞在国 アメリカ ペンシルバニア州
滞在開始学年 中学校3年生
滞在期間 4年間
滞在方法

留学のきっかけ

僕は私立中学に通っていましたが、中3の時に突然思いつきました。それまではアメリカの学校に行こうなどとは選択肢の中に無く、留学という言葉もおそらく発したことは無かったと思います。映画の内容と関連していませんが、友達と「STARWARS」を観に行った帰りに初めて考え始めましたことを覚えています。神様が耳元で囁いたのかも知れません。両親が昔にアメリカに住んでいた事も奥底で影響していたかもしれません。

学校を選んだ理由

東海岸の数校に願書を出し、母と学校訪問をしました。自分ではマーサスバーグに受かるとは思ってもいませんでした。合格の通知が来たときは驚きました。やはりマーサスバーグは勉強の面でレベルがとても高かったから選びました。加えて、キャンパスの設備はとても整っていました。後になって大学を見て回った時にマーサスバーグのキャンパスの美しさと設備の良さに改めて気づかされました。

入学した当初

初年度は辛かった記憶があります。宿題が夜遅くまで終わらなく途方に暮れていた時などは、なんで留学なんて思いついたのだと自分に嫌気がさしていました。やはり英語と歴史の授業は苦痛の一言でした。宿題は膨大に出るし、授業中は当てられないように息を殺して座っていたり、テストで一問正解していたら安心の溜息をついたり。今では笑い話になりましたが。

ある日、後に親友となるアンドリューが部屋に教科書を持って入ってきて、宿題のページを僕に向かって音読してくれました。2時間くらいかかったと思いますね。それで次の日、テストを受けたら60%くらい正解していました。彼には今でも感謝しています。その勉強会は1年の間ずっと続いて、人数もだんだん増えていきました。もっともアンドリューの助けはそれだけで、10年生の時は同じ化学のクラスになり二人とも成績は最悪でした。ホースで遊んだり、火で遊んだり、危険な化学薬品で遊んだりと、何回クラスを追い出されたか覚えてないほどです。勿論、両親にも言わなかったので、これを読んで初めて知るでしょう。でも、それが楽しかった思い出です。

留学中の成功の秘訣

確かにマーサスバーグは英語力の弱い自分にはチャレンジングだったと思います。留学生も殆どインターナショナルスクールからか海外経験がある人ばかりなので、留学生は皆優秀でした。Cum Laude(注・参照)を取れたのは運だったと思います。正直、相当なストレスとプレッシャーに運良く乗り切れたなと思います。日本の受験も大変ですが、こちらも相応にキツいですね。それも、うまく乗り切れたと思います。

大切なのは真剣に考えすぎず、真剣になる事ですね。矛盾しているかも知れませんが、真剣になるのは必要です。でも失敗をしても「まあいいや」と考えられるのも重要です。悔やんでも結果は変わりませんから。僕自身はそう思っていましたが、両親やエディクムのスタッフにはしょっちゅう「もうダメだ」と弱音を吐いていたと思います。今となっては、僕は覚えていないので、それが成功の秘訣かも知れません。

留学生活を振り返って

留学して一番宝になったものは、やはり友達です。マーサスバーグでは生徒全員家族同様です。親友のアンドリューとティムに加えて、何人か大切な友達がいます。その一人はサムです。サムとは10年生の時会って以来、兄弟の様な仲です。彼の家族も僕を家族の一員として受け入れてくれ、ずいぶんお世話になりました。サムは良きライバルであり友であり、今年からYALE大学で勉強しています。他にも数えきれないほどの大切な友達に恵まれました。彼らとは一生つき合っていく友達になるでしょう。マーサスバーグで出会えたのは運命だと思います。彼ら抜きでは僕は卒業できていなかったかもしれません。何より人生で最高の思い出を作ることはできませんでした。これからも将来的にお互いに助け合う事があるでしょう。良い友達を作ることが、勉強をするより更に成功への鍵となり、何より良い人生を送る鍵だと思います。

僕の中で思い出に残る先生は二人います。一人はアドバイザーでもあり、歴史の先生でもあったケンタウロス先生です。彼のおかげで僕は自分の興味のある学問を見いだすことが出来、先生は僕にとっては親の様な存在です。先生の作る手料理はおそらく、今まで行った全てのレストランに勝ることは確かです。12年生のとき、ケンタウロス先生からアメリカ政治、比較政治、そして政治思想を学びました。毎日最低3度は顔を合わせていましたが、飽きやすい僕が何も感じなかったのはおそらく彼が良い先生で楽しい存在だったからでしょう。 先生の一言一言はユーモアに溢れていて、雑談ばかりしているのに学んだことは多かったです。APのテストにおいて最高評価を得られたのも、僕がこの道を生きたいと思ったのも彼のおかげです。

もう一人はテニスのコーチのヒックス先生です。正直言って、僕は彼を困らせてばかりいたと思います。部活中に、ラケットは投げるし、皆をまとめるべき役割なのに切れてばかりいたこともありました。でも先生は最後まで僕に対して公平で何より気遣ってくれました。他の人ならとっくに放り出していたと思います。でも彼のおかげで自分の非を見つけることができ、最後の年には成長できたと思います。今の僕があるのは、先生のおかげだと思います。


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大切な子どもに残してあげられることは何でしょうか。たとえお金や物がなくなったとしても、教育を受けたことによる目に見えない「経験」は、貴重な財産としてその子の人生を豊かに彩る礎となるに違いありません。
グローバル時代と言われて久しい昨今、子どもの教育・経験を考える時に「海外留学」も選択肢のひとつとして当たり前になってきました。少なくとも、子どもがそれを望んだ場合には、保護者は耳を傾け、機会を与えてあげてほしいと願います。

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