高校生の留学

高校生の留学とは?


エディクムがサポートする高校生の90%は、留学先の高校を卒業することを目的とした留学です。多くの学生は、日本の高校を辞めて留学し、高校卒業後には大半の学生が国内外の専門学校や大学へ進学をしています。

その他に、希望や目的に応じ数ヶ月〜1年間ほどの短期留学を希望する学生もいますが、日本の学校を休学して1年間留学でも、画一的な交換留学(学校選びができない。終了後は帰国しなければならない)ではないので、それぞれの目的に合わせて世界中から本人に合った学校を選ぶことができます。留学先が気に入り、1年間留学から高校卒業目的に留学プランを変更する学生もいます。

近年、海外の高校は身近な進学先の一つとなりました。卒業後は海外の大学だけでなく、日本の大学にも帰国子女枠・アドミッション入試などができるようになってきました。高校卒業後の語学留学や大学留学よりも、自分で考え行動できる「自立」した大人へのステップとなることが多いです。

高校生の留学の特長

語学力

初めて留学する高校生の英語力は「ゼロ」レベルから英語検定準1級レベルまでさまざまです。そのため、留学後に一般の授業についていけるだけの英語習得にかかる時間は、学生によって異なります。初級ESL(英語を母国語としない又は第1外国語としての英語)プログラムのある学校には英語力が心もとなくても入学できますが、ESLのない(または、上級レベルしかない)学校では、英語の試験、高校入学前に現地の語学学校で数ヶ月~1年程度の英語を学ぶことなどを要求されることがあります。

エディクムからのアドバイス

日本では「英語ができる人」=「英語を話すのがうまい人」と認識している人が多いと思います。しかし、本当に「英語ができる人」というのは、文法が身についていて、文章力があり、読解力が高い人です。もちろん会話が上手であれば生活は便利ですが、留学先で最も必要とされるのは、「読解力」と「筆記力」です。日本での英語学習は文法に力を入れている学校が多いですが、正しい英語を話す、書くためには、避けて通れないものです。特に高校から留学を考えている方は、英語の文章がどのようにして成り立っているのかを理解することが重要です。

留学時期


中学3年生から

高校留学とはいえ、エディクムには中学3年生から留学する学生が多くいます。海外には高校が4年制(中学3年生~高校3年生)の学校が多く、中学3年生へ入学すれば高い英語力が要求されない学校もあります。また、ほとんど留年することなく4年間で卒業し、英語力がネイティブのレベルに達する学生もいます。この時期の留学は、国内のインターナショナルスクールに通っていた学生も目立ちます。

高校1年生から

中学校を卒業することで日本式義務教育システムから解放されるため、家族からの留学許可が出やすくなります。ESL(英語を母国語としない又は第1外国語としての英語)初級プログラムを受けなければならない英語力の低い学生でも、学校によっては3年間で卒業できます。可能であれば、中学生の時にサマースクールを体験することをお勧めします。


高校2年生から


将来のことを自ら真剣に考えだすのが高校2年生。

  • 「世の中の仕組みが少しわかり夢が世界に広がった」
  • 「大学受験を考えると今が1年間留学できる最後のチャンスだ」
  • 「受験の失敗で進学した高校に不満がある」

など、留学のきっかけはさまざまです。留学生受入校のほとんどでは日本での単位を認めているので、高校1年生を修了していれば理論的には高校2年生から入学できます。しかし、授業についていけるだけの英語力がない学生は、学年を落として高校1年生から3年間を考えるようにお勧めしています。この期間の1年間、勉強の時間を余分に費やすことは、これからの人生にプラスであってもマイナスにはならないでしょう。

高校3年生から

高校2年生の留学ケースと同様、日本で高校2年間をきちんとした成績で修了していれば、留学先で高校3年生になる資格ができます。しかし、相応の英語力がなければ留学して1年間での卒業はほぼ無理だと考えられます。英語習得に1年程度をかけ、合計2年間の留学で卒業できると考えましょう。なお、ボーディングスクールや私立校では高3(12年生)からの受け入れをしない学校もあります。

留学例

エディクムのOB・OG 7,800人以上の中から、高校生から留学したケースをご紹介いたします。

ケース1

16歳 高校1年生
アメリカ
サマースクール 参加
16歳 高校1年生
アメリカ
ボーディングスクール 入学
18歳 高校卒業
アメリカ
ボーディングスクール 卒業
18歳 大学1年生
アメリカ
4年制大学 入学
20歳 日本の大学に編入
日本
4年制大学の3年生に編入
22歳 大学卒業
日本
大学を卒業
24歳現在 大手ホテルに就職
日本
大手ホテルに就職

ケース2

16歳 高校1年生
ニュージーランド
ボーディングスクール 入学
18歳 高校卒業
ニュージーランド
ボーディングスクール 卒業
18歳 大学1年生
オーストラリア
Griffith大学 入学
22歳 大学卒業
アメリカ
半年間、アメリカの大学で研修
22歳現在 デンマーク資本の会社に就職
日本
デンマーク国籍の会社の日本法人に就職

ケース3

16歳 高校1年生
スイス
ボーディングスクール 入学
18歳 高校卒業
スイス
ボーディングスクール 卒業
18歳 大学1年生
アメリカ
4年制大学 入学
22歳 大学卒業
アメリカ
大学を卒業
23歳現在 アメリカで就職
アメリカ
アメリカの日系通信企業に就職

※上記の年齢・学年は、日本で使用される年齢・教育制度による学年としております。


高校生の留学実績・体験談


エディクムの子供たちは、ボーディングスクール、サマースクール、公立校含め、さまざまな学校に留学していきました。以下に紹介していますので、ご覧ください。


ニュージーランドの準公立校に4年間通ったK.A.くん

学校名 Bethlehem College
学校の種類 準公立
滞在国 ニュージーランド
滞在開始学年 中学3年生
滞在期間 4年間
滞在方法 ホームステイ

留学がきっかけで起業、社長へ

K.O.くんは、日本の中学校を卒業後、Bethlehem College(タウランガ・ニュージーランド)のYear10(中学校3年生に相当)へ入学し、3年半後に同校を卒業しました。

【K.O.くんのプロフィール】 1991年12月、富山県小杉町(現射水市)で生まれ、小学校3年生まで富山県、小学校4年生から6年生は長野県松本市、そして中学校3年間は新潟県妙高市で過ごす。その後、高校時代にカナダへ行った兄、オーストラリアに10年住んでいた叔母の影響で、その他にもいくつかの理由から(後述する)、ニュージーランドへの留学を決める。 Bethlehem College卒業後は、早稲田大学政治経済学部経済学科へ入学し、大学1年時に、翻訳・通訳のウェブサービス会社を起業、その後、売却、そしてその資金を元手に、大学2年時に民泊事業を開始する。2015年、大学4年時に法人化。現在、ホテル・ブライダル・不動産・人材事業を中心に9社、30事業の会長を務める。

まさかの受験失敗から、ニュージーランドへ

最初に、留学できる環境を提供してくれた、両親には感謝をしてもしきれない。今でもよく考えることがある。もし私が、留学していなかったらどうなっていただろうと。 私の家系は、父をはじめ親族の大多数が医師であり、当然私も、将来的は医師になると幼少期から思っていたし、おそらく留学をしていなければ、昔から想像していたルートを歩み、今頃医師になっていただろうと、ふと考えることがある。そんな私が、なぜ留学をすることになったか。前述で、兄や叔母の影響が、と述べたが、最大の理由は、高校受験に失敗したからである。当時の私は、中学校に昼頃に登校し、ランチを食べ、友人達と遊んで、友人達の部活を遊び歩いた後、学校の部活外で習っていた極真空手に行く、という、自分でいうのもなんだが、適当な日々を送っていた。一方で、当時、新潟県内の中学校で最も生徒数の多い中学校で、試験の前日には徹夜で寝不足になりながら教科書を熟読し、隠れてこっそり勉強はしていたことから、自慢ではないが、定期試験では常に上位の成績を取得していた。そういった成績結果だけはしっかり出しているということもあり、学校に出席しなくとも煩く言われることもなく、かなり厄介な中学生であったと今にして思う。当然、その様な行動や、短期記憶に頼りきって毎度の試験に臨んでいたこともあり、高校受験も2週間前から勉強を始め、県内一の進学校のみを受験した結果、見事、不合格となったのである。中学の卒業式前の2月であったが、当時は根拠のない自信家だったこともあり、当然滑り止め校も受けておらず、高校で浪人することも想定しておらず、不合格の結果通知を受け取るという(今だから笑えるが)不測の事態に直面し、放心状態となってしまった。 その様ななか、3歳上の兄を短期の高校留学に送り出していた両親が、折角の機会なので、むしろこの結果を前向きに捉え、海外の高校へ進学したらどうか、と勧めてくれた。これから英語ができることが当たり前の世の中になり、また、幼い頃から日本以外の国も見てきて色々な文化、考え方を知り、視野を広げた方が良いと言ってくれた両親には、本当に感謝している。そして、当時やんちゃだった私は、何をしでかすか自他ともに分からず、自然豊かでのびのびと安全に暮らせる国、ニュージーランドへと留学することとなった。  

中学校3年をもう一度やり直す

英語はもちろん学年でトップクラスの成績を誇っていた私ではあったが、あくまで試験上の話で、それまで英語を話したことは殆どなかった。最後に海外へ行ったのは、中学2年生の時に2週間、叔母のいるメルボルンだったが、いざ現地に到着しても全く英語を聞き取れず、ひたすら黙り続けていた私である。そんな英語が話せない私は、まずYear10として、ニュージーランドの経済の中心地オークランドから南東に300km程度に位置するBay Of Plentyのタウランガという街にある、Bethlehem Collegeへ入学した。当時は、中3をやり直すのか!一刻も早く高校に進学したい!という焦った気持ちがありつつも、留学準備に2ヶ月かけ、入学した時は、既に6月であったこともあり、2月に学期が始まり11月に終わる南半球の学校のため、最初の半年は、英語の勉強と割り切り、勉強をすることとした。

2回のホームステイ暮らし

滞在方法はホームステイであった。最初の家庭は、過去10年近くにわたり留学生を受け入れているベテランホストファミリーであった。3人の子供がいたが、既に3人とも成人しておりオーストラリアで就職していたため、私は、ホストファザーとホストマザー、台湾人留学生の3名の家族の一員として加わった。ホストマザーが看護師で、ホストファザーが家事を中心に行っており、ニュージーランドらしい家庭で過ごせたのは、大変貴重な経験となった。ニュージーランドでは、つい先日まで国のトップである首相が女性であったし、就業におけるジェンダーギャップが世界的に見てもほぼ無いニュージーランドでは、今や、大学入学者は男性より女性の方が多いという現状もある。また、別の家庭も見てみたいという気持ちもあった私は、最後の年Year13の1年間は、既に香港人、韓国人の2名の留学生を受け入れていた、評判も良かったトンガ人のホストファミリー宅で過ごした。

打ち込んでいたスポーツ

ニュージーランドといえば、ハカやオールブラックスで有名な、国民的スポーツ、ラグビーである。私も高校は、中学から続けていた空手の延長で、地元のキックボクシング、ブラジリアン柔術、総合格闘技ジムに通いつつ、ラグビーに打ち込んだ。ラグビーは1軍には体重80kg以上ないと入れないという規定があり、身長171cmしか無い私は、肉とポテトを毎日食べ、体を大きくし、重めの服を着こんで、ギリギリ体重制限をパスすることができた。私の学校、Bethlehem Collegeは男女共学であったが、よく試合をしていた男子校は現地のマオリというニュージーランドの先住民族が多く、また、ハカを必ずといっていいほど試合前に踊り、地響きが鳴り、試合前には毎回ビビっていた。練習は週6とほとんど毎日あったが、練習という感覚もなく、皆遊びの延長でやっている感じであり、非常に楽しい思い出の一つとなった。週末の試合後には、ハンギというマオリ伝統料理を楽しみながら音楽を流し、パーティーに明け暮れ、楽しんだ。スポーツや音楽は、文化や風習の壁を越え、仲良くなるだけでなく、精神面も鍛えられ、コミュニケーションの上達にもつながり、一石三鳥であり、是非、これから留学する方にも、留学中の方でもまだ取り組んでいない方がいれば、現地の学生と是非、何かしら一緒に活動することをお奨めする。将来の財産に繋がるのは間違いない。

留学して良かったこと、総評

将来のためになるからと、留学に送り出してくれた両親に感謝すると共に、準備から、何も知らない土地での不安だらけの学校生活、留学後の進路相談まで徹底的にサポートして頂いた、エディクムのスタッフの方々には改めて深く感謝申し上げたい。

留学して身についたことは大きく3つある。 まず1つ目に、勿論、「英語力」である。今日、日本の大学在学中に留学する人は多いが、早い程、吸収力が違う。ただ、早すぎても良いという事ではなく、日本の文化、言葉遣い、経験を一通り吸収した中学卒業後というタイミングも、非常に良かったと振り返っている。 2つ目に、「柔軟な考え方」である。現地の人間だけでなく、自分と同じようなインターナショナルな留学生達とも交流を深めることにより、文化の壁を越え、物事をまずは受け入れ、吸収し、考えられる力が身についた。 そして最後に、「度胸」である。経験がない領域や場所での展開を0からワクワクして取り組めるようになった。これは今の仕事で、どの様な領域の事業でも私が展開できることに繋がっている。   最後に、現在、留学中の学生も、留学をこれから考えている学生も、この良い経験を最大限に活用すべく、是非色々と留学中にトライして欲しいと思う。


ニュージーランドのボーディングスクールに4年間通ったK.Y.くん

学校名 St. Paul’s Collegiate School
学校の種類 ボーディングスクール//私立
滞在国 ニュージーランド
滞在開始学年 中学3年生
滞在期間 4年間
滞在方法

国境封鎖が続くニュージーランドで思うこと

 私は2017 年1 月からニュージーランドで学んでいます。こちらにはYear10(日本の中学校3 年生に相当)として入学し、現在、オークランド大学の2 年生でコンピューターサイエンスを専攻しています。

 私は友達のお父さんに勧められて、2016 年の夏にイギリスでのサマースクールに参加しました。その時、初めての海外での経験にショックを受け、自分も留学してみたいと思ったのがニュージーランドの中高校に入学したきっかけです。サマースクールでは日本で当り前ということが非常識だったり、日本ではあり得ない経験ができ、新しいことを学ぶということに対するモチベーションがすごく上がりました。例えば、自分が所属していた中学校は、地元でも歴史のある学校でしたが、授業はノートと筆記用具を使うのが定番でした。しかし、イギリスの学校では、タブレットをはじめとしたITを最大限に用いるのが当たり前であり、自分の意見を発表するのも当然と考えられています。それはニュージーランドの学校でも同じでした。

 ニュージーランドには右も左もわからない状態で到着した為、当初は英語を話すこともままならず、とても苦労したのを今も鮮明に覚えています。留学開始当初は、言葉が話せないなか友達を作るのが難しく、コミュニケーション不足によって先生から注意を受けたり、ホームシックになったりと大変でした。なかには英語が話せないためにトラブルに巻き込まれたこともありました。私が在学した学校(*注St Paul’s Collegiate School)は10 年生の半分の期間を山のなかにあるキャンパスで過ごすTihoi と呼ばれる特別プログラムがありました。一般の教科の学習もしますが、アウトドア活動に多くの時間を費やします。日常生活の様々なことが当番制で決まっており、本来の当番の学生が忘れていたり、さぼったりしたことを英語力がない自分のせいになったりと、災いが降りかかり、悔しい思いをしたこともありました。また留学生は殆どおらず、意思疎通を図るのが難しく、心が折れそうになることも複数回あり、留学をやめようと何度も思いました。留学の全てが楽しい記憶というわけではありません。

 しかし、こちらで時間を過ごしコミュニケーションが図れるようになるにつれ、留学が充実した日々へと変わってゆき、今では毎日、大学へ行くのがとても楽しい、と心から思います。大学のキャンパスは自由な雰囲気に溢れ、特段、先生に指示されたり、課題をやりなさい、と言われることはありません。全て自己責任ですが、その自由で好きなことができる環境が心地よいです。プログラミングの学習で、チューターと呼ばれる指南役の学生と頻繁に言葉を交わし、今までの自分とは交流が無かった学生グループとも親しくなりました。こちらは18 才が成人年齢ですので、18 才の誕生日はホストファミリーが盛大に祝ってくれました。コロナ禍で日本へ帰国することが叶わないなか、とても印象に残った出来事のひとつです。

 留学は私にとって人生を変える大きな第一歩になりました。また留学を通して色々な機会に恵まれ、世界各国からの色々な人と交流することができ、とても貴重な経験になっています。世界ではまだコロナウイルスの収束が見通せず、入国制限や規制などが続いています。大変な状況ではありますが、これから留学を考えている方は是非前向きに検討してみてはいかがでしょうか?百聞は一見に如かず、経験から学ぶことは本当に多く、人生を変えるきっかけになるかも知れません。

*St Paul‘s Collegiate School  ハミルトン(北島)にある私立寮制学校で、Year 9 & 10 は男子のみ、Year11~13は男女共学です。Tihoi Venture School は、タウポ郊外にあり18 週間にわたり自然に戻って生活するアウトドアアドベンチャープログラムです。学校の指針は“冒険を通じて個性の成長”に基盤を置いています。

(写真:右)


ニュージーランドの準公立校に6年間通ったT.O.さん

学校名 St. Matthew’s Collegiate School
学校の種類 準公立
滞在国 ニュージーランド
滞在開始学年 中学1年生
滞在期間 6年間
滞在方法

留学2年目の体験談

私は今中学2年生でニュージーランドに留学しています。私が留学しようと思ったきっかけは、私の姉2人がSt Matthew’s Collegiate Schoolを卒業しており、妹の私にはかっこよく見えて、尊敬していました。私はもっとたくさんの人に会ってみたいという興味を持ちました。そして尊敬している姉たちの背中を追いたいと思い留学という道を選びました。

 最初ニュージーランドに来た時は不安でしょうがなかったですが、内心はワクワクしていました。最初はホームシックになったり、驚くことがたくさんありましたが、ニュージーランドは心が温かい人が多く、みなに励まされ、この壁を乗り越えました。ニュージーランドに行った姉たちのすごさがわかりました。今までで一番心に残っているのは、インターナショナルの友達との思い出です。インターナショナルの友達は私にとって同じ立場の友達であり何でも言い合える仲です。寮でも一緒で家族に近い友達です。一緒に街に出かけたり、公園で遊んだり、色々な時間を共有し、悲しかった時間も支えてくれた大切な友達です。留学して最高の仲間と出会うことが出来たのが留学してよかったことのひとつです。

 現地の子はみな心が温かい子ばかりで、英語が理解できなかった私にも優しく接してくれました。現地の子はいつも気にかけてくれたり、すごく優しい子がたくさんいます。先生たちもとても優しく、分からない授業の個所を重点的に教えてくれたり、ゆっくりわかるまで話してくれたりするので良く理解できました。ニュージーランドにはネットボールというスポーツがあり、他にもホッケーやサッカーやバドミントンなどが冬のスポーツにあります。その中で私はネットボールに挑戦しました。練習はすごくハードで試合もありましたが楽しかったです。他にも私はオーケストラとジャズバンドに参加しています。私はジャズバンドとオーケストラでトランペットを演奏しています。最初ニュージーランドに来た時、トランペットを吹けませんでした。しかし、音楽の先生からジャズバンドでトランペットを吹いている人は一人もいないと聞き、私はトランペットを演奏することに決めました。私はトランペット初心者だったので週1回あるトランペットのレッスンを受け、約1年間練習しました。そして次の年、私はオーケストラとジャズバンドに参加しました。オーケストラとジャズバンドは違う日にそれぞれ週1回ずつあり、多くの楽器が揃っています。音がみなと揃った時はすごくうれしくて楽しいです。留学生活で色々な人に会ったり、充実した毎日を過ごしています。英語力についてはリスニングはほとんど理解できるのですが、今後は苦手なスピーキングを積極的にやって、より楽しい留学生活を送りたいです。


アメリカのボーディングスクールに4年間通ったK.O.さん

学校名 Fountain Valley School of Colorado
学校の種類 ボーディングスクール
滞在国 アメリカ コロラド州
滞在開始学年 9年生
滞在期間 4年間
滞在方法

カンボジアでのサービスプロジェクトに参加して

 私は、現在コロラド州にあるFountainValley School に通っています。 高校生活が残すところ1 年となった夏休み。大学進学への準備だけではなく有意義な時間を過ごしたいと思い、民間団体主催の高校生ボランティアプログラムに参加しました。多数の選択肢がある中、友人がいることで親近感があるカンボジアで、子供たちに英語を教えるプログラムを選択しました。

 空港に着いた途端、湿度と温度の高さに驚き、これからこの過酷な気候の中活動するのが少し不安になりましたが、現地のコーディネーターの方が親近感の持てる女性で、日本のことを色々と質問してくれたりしながら、私達の不安な気持ちを解きほぐしてくれました。初日のWelcome Dinner ではタランチュラやコオロギの料理が出てきました。コーディネーターの人に、“これはカルシウムだからもっと食べた方が良い”と推されましたが、足だけ食べるだけで精一杯でした。

 このプログラムに参加する以前、カンボジアは、発展途上国で治安もあまり良くない国という印象でした。実際のカンボジアは、都市のプノンペン近くはイオンやスタバなどもある近代都市でしたが、車で20 分も走れば未舗装の道路となり、裸足で歩く子供の姿を多く見かけ、また住居はほとんどが、高床式住居で、家畜を住居スペースの下に飼っている家が多く驚きました。学校へは河を渡らなければいけませんが、橋が整備されていないため、毎日船に乗らなければなりませんでした。このような環境の中でも、生徒たちはとてもフレンドリーで明るく、積極的に質問して来ました。クメール語と英語でのコミュニケーションは、とても難しかったですが、大繩飛びや折り紙を一緒にしているうちに次第にコミュニケーションが取れるようになり、数名の生徒が自分の名前を呼んでくれ た時はとても嬉しかったです。

 平日は毎日午前中英語を教え、午後は壁塗り活動をするのが私たちの主なボランティアワークでした。1 年生から6 年生まで1 学年1 クラス編成で、しかも、ひとクラスの人数も数十人なので、学年を超えて皆仲良く遊んでいました。クラスの中で英語力が異なる生徒達に、限られた時間の中で、どうやったら生徒達が退屈せず、効率良く英語を学べるかを他のグループのメンバーとも何度も話し合いを重ねました。お互いの言語がわからない中教えるのはとても難しかったですが、最終日には生徒達は皆に手紙を書いてくれて、飴やスノードーム、折り紙をプレゼントしてくれました。午後は色褪せていた校舎を真新しい綺麗なペイントを使って塗り直すという途方もない作業でしたが、授業が終わった子供達がお手伝いしてくれたお陰で、2 週間後には校舎全体が新築同様になりました。

 子供全員が学校に行けるのが当たり前の日本ですが、カンボジアではそうではなく、アンコールワットなどの有名な観光地ではお土産を観光客に必死に売っている子を何人も見ました。また、学校には電気は通ってないので、クーラーはありません。いくら屋根があるといっても、外は毎日38 度の世界で、教室にあるのは2 台の扇風機だけ。一つ20 ドルの扇風機が購入できない過酷な環境下でもみんな文句ひとつ言わず授業を受けていました。

 小学校では多くの生徒が日本からの寄付と思われるくまモンなどのキャラクター物の洋服、公文式のカバン、日本製の自転車などを使っていました。今回発展途上国の貧しさを初めて自分の目で見、また、実際に子供達が他国からの寄付の品物を使っている場面に何度も遭遇し、寄付の大切さを実感しました。

 今回参加した私たちのグループだけではこの状況を解決するには微力すぎるかもしれませんが、寄付をアメリカの学校でお願いすればもっと多くの人が支援してくれると思い、夏休み後学校で募金活動をしました。自分にできることはほんのわずかなことですが、こうした発展途上国の状況を多くの人に伝え、小さな活動を続けて行くことが、発展途上国を支えて行く力になると強く感じ、今後も機会があれば、支援活動を続けて行こうと思いました。


スイスのボーディングスクールに5年間通ったK.T.さん

学校名 Aiglon College
学校の種類 ボーディングスクール
滞在国 スイス
滞在開始学年 中学3年生
滞在期間 5年間
滞在方法

カンボジアへの旅

 Aiglon Collegeでは教育の一環として様々な奉仕活動旅行を提供しています。行き先はケニア、コスタリカ、ロシア、カンボジアやタイです。私を含む21名の学生が昨年10月カンボジアのBeng Maelea村を訪問しました。先ず私達はAngkor小児病院に寄付を届けに行きました。また、地元の学校で図書室を立てるためのレンガ造り、雨水を貯める大型ポット作りや植林を行いました。更にこどもたちへの英語レッスンを通して交流を深めました。  気温30度以上と高湿度の中で、土を練り、自然乾燥させて一つ一つレンガやポットを作る作業は心身ともに厳しかったです。宿泊は高床式の小屋のため夜間は虫に襲われ、あっという間に全身見たこともない発疹が表れ、痒みとの闘いが続きました。食事はお米、鶏、焼きそば等馴染のあるものでしたが、大きなタランチュラの素揚げが給仕された時には驚き、足の部分のみ恐る恐る食しました。  水道、電気、機械類がない村では道路も舗装されていません。普段テレビや雑誌では知っているものの、こんなに発展していない所があるのか?と現実を見ることで衝撃を受けました。そして、自分が日本に生まれどれほど恵まれた生活をしているのかを痛感しました。  カンボジアに出発する前、私たちはスイスで多くの準備活動を行いました。その一つが資金集めです。カンボジアの学校や病院への寄付金を集めるため、私は日本のカップラーメンを校内で販売し、資金集めをしました。パンケーキをつくり販売する者、学校に募金箱を設置して募金活動をする者もありました。これらの資金はカンボジアの学校施設改善や自転車購入、集落内のシャワー設置のために使われました。寄付金は一人一人の感情に沿って渡されるものでなく、受け取り側が求めているものに使うべきだというディスカッションで、ボランティアの意義も学びました。  更にカンボジアの学生に英語を教える練習を、Aiglon Collegeの初等部で実際に授業をし、子どもたちにわかりやすい教材作りにも励みました。  カンボジアの旅を終え、奉仕活動は確かに厳しかったものの再度行きたいという思いが湧き起こります。なぜでしょうか?それは出会った人々の優しさに触れ、周りの世界を知らないことは世間知らずだ、ということを実感したからです。日本に帰国後、水道水を使用するとき、直ちに蛇口を閉める意識が芽生えました。小さなことですが「当たり前と思っていたことがそうではない」と、身を以て認識したことが旅の収穫です。

伝統行事EX

 Aiglon Collegeでは奉仕活動に加え、EX(Expedition)と呼ばれる必須のアウトドア活動があります。キャンパスが標高1500メートルのスキーリゾート地にあるため、スキー、スノーボード、登山、キャンプ、オリエンテーリング、カヤッキング、ロッククライミング、アイスクライミング等、大自然の中に放り出され心身を鍛錬する活動が盛んです。これらのアクティビティは一見、個人プレイのようですが実はチームワークやリーダーシップが求められます。というのは大自然の環境では天候やアクシデントを含め不測の事態が起こり、参加者はいわば運命共同体として冒険をするからです。オリエンテーリングではチームに渡された少ない持参品を持ち、学生だけで既定の条件をクリアする一泊二日の旅をしました。途中、2日分のマッチを一度で使ってしまい食事を作れなくなったり、行き先ルートを決めるのに諍いが起こったりと一つ間違えば命の危険さえある環境で、全員が助け合い一丸となるコミュニケーションスキルが必須でした。何度もEXを繰り返し、自分が思う限界値を超えることで、大きな自信を得、強い絆をつくります。  “Going on EX”はAiglon Collegの伝統行事であり、「チャレンジ」を意味します。世界60か国から集まる仲間と大自然の中で寝食共にすることで、強いチームワークやリーダーシップスキルを磨き、スイスでの学校生活をより有意義にしたいと思います。

*写真は、EX中に牛小屋で一夜を明かした時の写真です


カナダのボーディングスクールに5年間通ったA.U.さん

学校名 Balmoral Hall School
学校の種類 ボーディングスクール
滞在国 カナダ
滞在開始学年 中学1年生
滞在期間 5年間
滞在方法

自信の可能性を見つけたカナダ留学

私はカナダのマニトバ州、ウィニペグ市にあるBalmoral Hall School に中学一年生から通っています。今までの5 年間半を振り返ってみると、とても充実した生活、そして一生味わえないような経験をすることが出来ました。しかしそれと同時に親元を離れて上手に暮らす事の大変さや、慣れて来てからの苦悩もありました。そしてその経験を通して私自身とても良い意味で変われたと思います。 私が留学生活を通して身に付けた能力は主に2 つあります。

1)向上心の芽生え

まず一つは悔しいという思いから芽生えた向上心です。私は元々中学一年生だったということもあり、あまり将来の夢について深く考えておらず、ただ英語が喋れるようになりたい!という意思のみで留学を始めました。留学当初はほぼ英語が話せず(who, what, when の違いもよく分かっていませんでした…笑)、授業についていくので精一杯だったのですが、ある日から英語力向上のために、クラスで行われるディスカッションに参加しようと思い、つたない英語で参加するようにしていました。しかし先生に、私の英語は私語と捉えられてしまい、静かにするように、と怒られてしまいました。その時、私は自分の英語力の無さに改めて気付かされました。悔しいと思うと同時に、負けず嫌いな自分の性格上、その悔しいという感情は私がもっと英語を話せるようになりたいという向上心に変わりました。そして綺麗な発音の練習や単語量を増やす勉強を続けるようになり、一年後、同じ先生に発音とディスカッションへの参加を褒められた時はとても嬉しく思い、同時にあの時の悔しさとその後の向上心は忘れてはいけないと思いました。これからも悔しいと思う気持ちを大事に、努力する事を辞めずに成長したいと思っています。

2)自らを信じること、将来へ向けて

二つ目は自分自身の可能性を見つけ、それを信じる力です。私は留学前、とにかく勉強が苦手で、小学校の先生に留学に行く事も心配されていた程でした。カナダに来ても勉強への苦手意識はあまり薄れず、英語もままならなかったため、とりあえず言われた事だけをやるようにしていました。その頃は自分自身の得意分野や自分の可能性があまり分からず、よく自己紹介で聞かれるあなたってどんな人?という質問に答えるのが苦手でした。中学三年生になった頃、数学を教わっていた先生に、「貴方はとても好奇心が強いし、好きなものに集中できるから理科系なんか興味あったら楽しいんじゃない?」と言われ、初めて自分自身の事を理解しようと思うきっかけが出来ました。先生の言葉と、自分を客観的に見ようと思った結果、自分の好奇心は勉強に活かせるかもしれないと思い、勝手に苦手だと思っていた理科系のクラスに興味が湧きました。そして前にクラスで行った解剖が好きだったから、という理由のみで高校一年生になってしっかりと理科に取り組むようになりました。もちろん難しいと思う事が多かったのですが、私の好きなものに集中できる力、のおかげかあまり苦ではありませんでした。そして、私は、数学の先生が仰ってくださった、自分自身の可能性を大事にしたいと思ったので、好奇心を忘れないように、少しでも気になった事があれば全て先生に聞くようにしていました。高校三年生の今は、医学部を目指したいと思えるほど理系科目が好きになりました。小、中学生の時の私からすると思いもしなかった夢なので、自分の可能性に気づかせてくださった先生にはとても感謝しています。

3)コロナ禍の今思うこと

そして2020 年は全世界の人にとって、とても衝撃的で「普通」とは全く違う一年になったと思います。私も例外ではなく、色々な影響を受けました。私はこのウイルスによって失われたもの、そして逆に新しい考えも得られたと思います。私が思うこのコロナウイルスで失ったものは、人と人の関わりだと思います。インターネットが発展した今、リモート授業、そしてテレビ電話などで人と関わる事は難しくありません。しかしやはり画面越しでは、その場の空気感があまり伝わらなかったりして、実際に会って話すよりも人と人の関係を深めるには良いツールではないなと思います。もちろんインターネットは使い方によって私達の生活に必要不可欠である事は間違い無いのですが、やはり人が成長するにはバーチャルではなく、直接関わる事が重要だという事をオンライン授業などを通して感じました。そしてこのコロナウイルスで得た私の新しい考えは、これからの世界は世界が手を結び、協力してウイルスと戦う事が重要、という事です。ウイルスは歴史を変えるということはよく言われていますが、コロナウイルスをきっかけに、世界が良い方向に変わるといいなと思います。WHO や国際機関などがいち早く正しい情報を世界に発信したり、国同士が情報を秘密にしたりせず、世界が連携して、いつまたやってくるか分からない未知のウイルスに備える事が重要だと思いました。


ニュージーランドの準公立校に2年間通ったA.J.さん

学校名 Roncalli College
学校の種類 準公立高校
滞在国 ニュージーランド
滞在開始学年 高校2年生
滞在期間 2年間
滞在方法 ホームステイ

人生の財産となったNZ留学

2018 年秋、当時高校2 年生の私は、いわゆる進学校と呼ばれる激しい学校環境の中で、正直心も体も疲れ切っていました。学校に通うことが難しくなり、将来どころか明日を考える余裕もなく、人生に行き詰っている時に、NZ 留学という人生の新しい選択肢と出会いました。昔から留学に憧れを抱いていた私は、迷いなくNZ で新しいスタートを切ることを決め南島のTimaru という街にあるRoncalli College に入学しました。しかし、心配が無いということは全くなく、会話が聞き取れるのか、喋れるようになるのかという英語の不安のみならず、授業の内容についていけるのか、久しぶりの勉強に自分が向き合えるのかという不安もありました。実際、現地到着後は多くの壁にぶつかりました。その中でも、やはり大きかったのは言葉の壁です。最初の一週間、聞き慣れない言語を聞き取るのに必死で神経を一日中集中させていたことによる、体験したことのない極度の脳の疲れを今でも鮮明に覚えています。その後1、2 か月は、友達を作りたいのになかなか作れない、何日経っても聞き取ることができない、自分の英語力が伸びている実感がないことなどへの焦りで、余裕などなく、目の前が真っ暗でした。 

めげずにやり続けたこと

「分からなかったらとにかく聞く」「わからないままにしない」ということは常に心掛けました。心配性な性格もあり、自分がやるべきことや今の状況が不明な点が一番ストレスでもあったので、これだけは自分の中の約束事として、勇気を出して、守り続けました。とはいえ、本当に全てがわからない0 からのスタートだったので「自分は今、とりあえず何をしたらいいのか」「今日の宿題はあるのか」という最低限の質問をひたすら毎時間先生に確認してはメモをとることから始め、放課後、自宅(ホームステイ先)でそのメモを元にやるべき課題や宿題に取り組んでいました。とにかく最低限のやるべきことはやる、これを初めは徹底しました。すると現地の先生たちも「この子は英語はわからなくてもやる気はある」と理解をして下さり、しつこく質問しても丁寧に向き合って下さいました。こうした日々の小さな努力もあり、気づけば少しずつ、音が単語として聞こえるようになってきて、授業にもついていけるようになり、今の英語力につながったのだと思います。先生方も授業態度を認めて下さり、年度末には各教科から優秀生徒賞を受け取ることができました。また、学年全体での優秀生徒トップ3 にも選ばれ、留学生としては開校以来二人目という快挙を成し遂げることができました。最終学年ではCultural Leader という、留学生はまず選ばれることはない学校全体のリーダーの中の一人にも選出されました。今まで行ってきた全ての努力が無駄ではなかったのだなと、自分がようやく他人からも、そして自分自身でも認められたと思える瞬間だったと思います。

新たな才能が開花

NZ に来てから日本との違いに刺激を受けてきましたが、その中でも明らかに違い、面白いと思ったのは学校の教育システムです。高校3 年間を通してほとんどの科目が必修かつ全員共通である日本とは違い、NZ では大学のように個人が好きな科目を選んでいく全選択制でした。教科の種類も非常に様々で、Tourism, Photography, Outdoor Education といった、日本にはない教科も多く存在し、そこから自分の興味のあるものについて専門性の高い授業を受けられるのが非常に新鮮かつ魅力的でした。個人の興味や才能を高校生という早い段階から引き出し、深く学ばせながら各個人の強みを伸ばしていく、そんなスタイルにとても感銘を受けました。自分にはないと思っていた才能、気づけなかった能力に出会えるのもこのシステムの非常にいいところです。私自身、昔から芸術分野とはかけ離れた人間だと思っていたのですが、興味本位で履修したPhotography のクラスでは、テーマ構成や撮影、編集などの全てを一年間通して自分で行い、一つの作品を完成させる中で、自分でも知らなかった写真の愉しさや才能に気づくことができました。年度末にはPhotographyのクラスの中だけでなく、ほかのDesign やDrawing を含めた全Art 科目のなかでの最優秀生徒賞にも選ばれ、NZに留学していなければ一生出会うことのなかったであろう自分の才能を発見できたことも、この留学で得られた大きな収穫の一つだと思います。

ゆったりとした時間の流れのなかで

私が留学していたTimaru という街は人口約3 万人というとても小さく、日本で過ごしていた環境とは全く違う、とても穏やかな所でした。時間の流れが非常にゆったりで、人々が皆、家族のように明るく近くで接しあう、そんな環境に驚いた記憶があります。日本での生活がどれだけせわしなく、自分がどれほど早い時間の流れの中で何かに追われているかのように生活していたかに気づかされました。放課後に友達と近くのビーチに行ったり、夜の8 時半頃まで日が沈まないNZの夏には、平日にもかかわらずホストファミリーと庭でゆったりしながらBBQ をしたりと、明らかに違う時間の流れに癒されていったような気がします。「ゆっくりいこうよ」、「焦らなくても大丈夫」、人と人との関わりを大切にしながら、心に余裕を持って人生を楽しむ生き方を教えてもらえました。また、どれだけ今の自分の状況が辛くても、他にも全く違う新しい世界はたくさんあるということにも気づかされました。多くのボランティア活動やテニス、バトミントン、バレーボールといったスポーツにも励みながら、勉強だけではない、充実した学生生活を送ることができました。高校最後の2 年間という限られた期間だったからこそ、学業面、生活面、全てにおいて常に全力で取り組み、愉しめたのだと思います。物心両面で支えてくれた両親、そして私を支えてくれた全ての人に感謝してもしきれません。

将来に向けて

現時点での明確な将来のビジョンというのはまだ模索中です。しかし、Tourismの授業を通していかにアジア太平洋地域が観光を通して強いつながりを持っているかを学び、元々関心のあった観光業にさらに興味を持つことができました。大学で太平洋アジア地域についてより詳しく学びながら、将来は観光業を通して日本と諸外国の架け橋となれるような仕事に就きたいと思っています。今後、長い人生の中で必ずいくつのも困難にぶつかると思いますが、この濃い2 年間をやりきったという経験は、私の中で生涯の自信として心の支えになると確信しています。 (写真:後列右から3 人目)


アメリカのボーディングスクールに4年間通ったK.T.さん

学校名 Ojai Valley School
学校の種類 ボーディングスクール
滞在国 アメリカ カリフォルニア州
滞在開始学年 9年生
滞在期間 4年間
滞在方法

大火事災害を乗り越えて

留学を始めて4ヶ月が経った2017年の12月、私の通うオーハイバレー・スクールはカリフォルニアで発生した大規模な山林火災により被災しました。

寮が燃えてしまった…

 期末テストを1週間後に控えた頃、遠く8マイル先(約11キロ)先で起きている山火事に「どうせ学校の方まで来ないだろう。それよりテストの勉強をしなくちゃ」と火事よりも試験の方が気になっていました。避難が決まっても「どうせ1日で帰ってこられる」と、私は洗面用具、寝袋、パスポート、1日分の着替えを持ち、足元はビーチサンダルでした。しかし、夜が明け外に出てみると、あたり一面煙で呼吸が困難なほどで白い灰が雪のように降っていました。そして、涙ぐんだ校長先生から告げられたのは、“女子寮全焼“。  「寮が燃えてしまった、全部なくなってしまった」と泣きながら電話で母に伝えると、母は「みんな無事?全部燃えてしまったかもしれないけれど、命が助かったんだから大丈夫。カンナは泣いてる場合じゃないよ、いまこそみんなを励ましてあげなさい。それがあなたの役目だよ!」と言われ、そうだ、生きていることに勝るものはない、と感じた私は、同じ寮にいたみんなに「生きてるんだから大丈夫!」泣き笑いしながら、声をかけました。その後たくさんの人たちのサポートを受けて、無事に帰国。日が経つ毎にどうすれば、自分の経験した自然災害の恐ろしさを伝え、何が学校に貢献できるだろうかと考えました。エディクムの柏倉さんの「カンナちゃん、チャリティをやってみては」というアドバイスもいただき、1月6日、学校に戻る前日、私はチャリティイベントを開催しました。

チャリティーイベント実施!

 協力してくださるレストランを見つけ、ちらしを作り、皆でカレーライスを食べるというチャリティ・ランチイベントを企画。同級生や友達、FBでチャリティを知った留学生をもつお母さんやこれから留学を考えている高校生など、約50人の方が集まってくださいました。私たちは学校の紹介や被害の様子を来ていただいた方々に懸命にお話ししました。私の考えた小さなイベントにたくさんの方々が応援してくださり、涙が出るほど嬉しかったです。  そして、今年の夏休みにはチャリティバザーとして再び学校への支援イベントを開催しました。帰国していた同じ学校に通う日本人学生や中国人の学生が手伝いに来てくれて、ホットドックのランチボックスやかき氷をみんなで作り、力を合わせてやりました。  バザーにもたくさんの品々をいただき、様々な方のご協力で募金額も想像を上回るほどでした。何よりも「頑張ってね!」の声援にただただ感謝しました。

挑戦する気持ち、そして行動力

 「どんなに大変なことがあっても、まず行動しなければ何も始まらない。」  自分のできることを精一杯にすること、そして誰かのために何を始めることが私自身にとってどれほどやりがいのあることなのか、今回のチャリティ・イベントを通して実感することができました。日本にいた頃は自分の良いところや得意なことがうまく引き出せず、失敗ばかりの時もありました。アメリカに留学して自分の中に沢山の引き出しがあることを、先生方や様々な国から集まる同級生とのコミュニケーションが気づかせてくれました。ありのままの自分を表現し、活かせる場所を見つけることは簡単なことではないかもしれません。でも、挑戦することはどんな時でも、誰にでもできます。  新しい国で暮らす私にとって、諦めずに挑戦し続ける気持ちが、今までの人生になかった一番の原動力になっています。


山火事で燃えてしまった学校


ニュージーランドの準公立校に2年間通ったR.I. さん

学校名 John Paul College
学校の種類 公立校 (共学)
滞在国 ニュージーランド
滞在開始学年 高校2年生
滞在期間 2年間
滞在方法 ホームステイ

留学内容

日本で高校1年生を修了し、ニュージーランドのロトルアへ留学して1年8ヶ月が経ちます。今は、ホームステイ先から現地のJohn Paul Collegeに通っています。昨年Year12が終わり、今年は最上級生のYear13になります。卒業後は、日本の大学に進学する予定です。

学校生活

昨年は印象に残ったことが2つあります。1つ目は、Year12にしか体験できない3泊4日の冬の地獄のキャンプです。これは、皆で力を合わせてグループごとに競っていくものです。1日目は、到着して休憩する間もなく競技が始まりました。まずグループで力を合わせて約2メートル以上の塀を何もなしで乗り越える競技です。背が高い人が、低い人を先に越えさせていきます。次にゼリーを混ぜてある泥沼を這っていく競技です。ドロドロになりながらも、すごく楽しかったです。

2日目からは、本格的な競技が始まります。たとえば、ロケットボート、ロッククライミング、カヌー、アニマルサバイバル、急流滑り台 そして自然の木やロープを渡されての筏作りなど。このすべての競技には、水と泥が全て関係しています。アニマルサバイバルは、敵から逃げるために深い泥の中を泥だらけになりながら走り続けます。この深い泥の中に足を入れると歩けないほどのドロドロの泥です。でも、止まっていると敵に捕まるので、その中を走らないと駄目なのです。また、自然の木やロープを渡されて筏を作り、それに乗ってゴールまで小さいオールで漕ぎます。あまり進まないので、皆で漕いだり泳いだりしながら行きます。内心、なぜこんな寒い中にビショビショになり、そして泥だらけにならないと駄目なのという感じでした。でも、今考えれば、日本で経験出来ないキャンプだったので、とてもよい思い出になりました。

2つ目は、Internationalと英語の先生のコーデュラとの出会いです。彼女は、数ヵ国が話せ、もちろん日本語も話すことができます。彼女は、皆の相談にのり、真剣に学生のことを考えてくれました。そして、彼女は、私たちの親代わりでもあり、時々私達に口うるさい時もありました。英語の時間では、Internationalの生徒が数人集まりessay、文法、本読み、楽しい会話などが基本的に行われています。もし理解できないことがあれば、真剣に私達に説明をしてくれました。

一昨年の11月には、彼女の自宅で留学生が集まってBBQパーティーが行われました。1人一品ずつの食べ物を持ってきて、皆でそれを食べながら、カラオケやゲームなどをするパーティーでした。でも、彼女は、来年からオーストラリアに行ってしまします。内心、私は、先生なしでどうすればいいんだろうって思いました。でも、今は心を許せるbest friendができ、楽しく海外での生活ができるようになりました。あと残り1年となりましたが、悔いの無いように充実した生活を送りたいと思います。


カナダのボーディングスクールに3年間通ったM.S. さん

学校名 King’s-Edgehill School
学校の種類 ボーディングスクール
滞在国 カナダ
滞在開始学年 高校1年生
滞在期間 3年間
滞在方法

留学することをきめた経緯

私は小学校の時から同じ小中高一貫校に通っていたので、自分の視野や見聞の狭さをなんとかするため、が一番最初の留学の考えでした。違う場所に行って、いろいろな人と会ってみたいと思い、高校1年生のときに自分の高校主催のカナダ3週間研修に参加しました。そのときに、カナダという国の美しさや欧米式の授業の魅力にとりつかれ、研修終了後すぐに留学を決意しました。学校を選ぶ際には、日本からの行きやすさ、インターナショナル生の人数や、国籍別割合、また制服の見た目、などを参考にしました。私が3年間通ったKing’sは最初、滑り止め、という感じだったのですが、実際に学校を見学した際、学校全体の温かい雰囲気や、先生たちや他の生徒の方がたくさん話しかけてくださり、自分がこの雰囲気、こんな学校にいたい!と強く感じたため、個人的に女子の制服は今ひとつでしたが、King’sに入ることを決めました。当時の英語力は、というと、私立一貫校に通っていたため文法はできるけれども、会話はそこまででもありませんでした。そのため、留学を決めて、日本の高校を退学してからは、EDICMさんに紹介された駿台で準備をしたり、大手英会話教室などで少しでも英語を使うような生活を心がけました。

留学中に楽しかったこと 辛かったこと

留学最初の1年は、新しい環境に馴染むのがとても大変でした。英語力の問題もあったのかもしれませんが、女子校出身であり、日本にいる間ずっと小学校からの友人に囲まれてきた私にとって、右も左もわからない誰も知っている人がいない共学の高校に飛び込むのは本当に大変なことでした。自分の思い描いていた留学生活とかけ離れた実際の生活に対し泣き悩むこともあり、何度も学校を辞めたいと思いましたが、それでもカナダでの友人たちの支えによってなんとか3年間やってこれたと思っています。何度頼んでも母国語でしか喋ってくれないクラスメイトたちに何度涙したことかわかりませんが、その一方で、いつでも私を支えてくれる世界の様々なところからの友人が出来ました。楽しかったことについては、ここに書ききれないほどです。日本で弾いていたベースを通して、学校のミュージカルに3年間参加させていただいたり、初心者にも関わらずバドミントンの大会に燃えたり、夜中に寮の友達とマットレスを持ちだして全員で廊下で寝たり、ただネクタイがかっこいいから、という理由だけで友達と一緒にStewardと呼ばれる生徒内での役職についてみたり、とたくさん泣くこともありましたが、それ以上に充実した日々を送りました。3年間を通して出来た友人は本当に一生ものだと思います。しかし、一番印象深いのは、yearbookと呼ばれる卒業アルバムの制作委員長をさせていただいたことです。アルバムの表紙作成から、写真選定、さらにはカナダ人の先生が書いた文章の校閲を日本人の私がしたり、と本当にアルバム作り全てにかかわらせていただきました。

3年間を通し、私自身大きく変わったな、と思う反面、家族には、本当にみほは昔から変わらない、と言われることもあり、自分が変わったのか正直よくわからないでいます。昔から重度の神経質かつ完璧主義者だった私にとって、理想と違った留学生活を受け入れるのは最初とても大変でした。しかし、留学3年間を通して、まあちょっと思ってたのとは違うけどいいか、という前向きかつ気楽な考え方が多少なりとも身についたのではないかと思います。「最初思っていたようにならなくても、結局どうにかうまくいく」という経験を何度もカナダでするうちに、少しずつですがおおらかになれたと思います。

今後の進学プラン

高校卒業後、私はカナダの大学に進学することを決めました。日本で就職したいということや、日本での大学生活の華々しさもあり、日本で進学するかとても迷いましたが、欧米式の、少人数制かつ生徒たちが自主的に進める授業、が私にはとても合っていたため、カナダの大学の中でも、一教授あたりの生徒数がカナダで最も低い、と言われ、さらに場所も日本から通いやすい、バンクーバーにあるブリティッシュコロンビア大学で経済を学ぶことにしました。今まで通っていた高校よりも、遥かに大きく、人数も増えるため、また色々な人と出会えることがとても楽しみです。また高校でスペイン語を2年間やってきたため、大学留学中にどこかスペイン語圏の国に留学したいと思っています。将来についてですが、あまりまだはっきりとは決まっていません。ただ、人と関わることが好きなので、自分の好きな分野で人と関われるような仕事をしたいと思います。

3年間はとてもあっという間でしたが、色々大変なこともありました。それでも無事にやってこれたのは日本から支えてくださったエディクムの皆さんと家族のおかげです。ありがとうございました!






スイスのボーディングスクールに3年間通ったR.F. さん

学校名 Brillantmont International School
学校の種類 ボーディングスクール(共学)
滞在国 スイス
滞在開始学年 高校1年生
滞在期間 3年間
滞在方法

留学のきっかけ

私は、スイス西部にあるのどかな文教都市、ローザンヌにあるBrillantmont International Schoolに3年間留学しました。この3年間は、言語の習得だけでなく、様々な面で実りの多い日々でした。

学校を選んだ理由

姉は大学から、兄は高校から海外に留学していた為、私はヨーロッパやアメリカに旅行する機会がありました。海外の生活を見て、現地の人と交流する中で、私も英語を使って他国の人の考えや文化を知りたいと思うようになりました。中学時代にサマースクールやEDICMの留学説明会等に参加して、高校からの海外留学に興味を持ちました。実際に、何校か学校見学をしているうちに、アルプスの美しい自然に囲まれた素晴らしい学校環境を持つBrillantmontに出会いました。

Brillantmontは、スイスの学校の中でも街に近く、規模の小さい学校です。そのため、一つの授業の生徒数も日本にいた時と比べ格段に少なく、家庭的な雰囲気の中で先生方も生徒一人一人をしっかりと見てくれました。寮の部屋もとても素敵で、窓から見えるレマン湖やエビアンの山々は、どこから眺めるより綺麗でした。私も大変なことや辛いことがあると、この景色に慰められたことが度々ありました。

入学した当初

留学当初は、慣れない寮生活や言葉の壁など苦労する場面も数多くありました。さらに、フランス語が必須だったため、英語の勉強だけでなく、フランス語も学ばなければならないことが大変でした。次第に学校に慣れてくると、他国から来ている友人たちは、積極的に自分から授業に参加している姿勢に気づきました。私も彼らのように自分から意見を述べ、授業に関わっていくと新しい世界が開けてきました。授業だけではなく、クラブ活動や普段の生活でも、自分から周りの友人たちに声かけするようになると、友人の輪が広がりました。

学校の雰囲気・学校生活

そうした中で、留学2年目に、生徒会活動に関わることになりました。Brillantmontは、インターナショナル・スクールなので、生徒会の委員も国籍は様々です。生徒同士や生徒と先生のコミュニケーションを円滑に進めるには、それぞれの性格や文化を理解する必要があると感じました。生徒会活動に参加したことで、英語力も養われ、広い視野を持てるようになった気がします。さらに、最終学年には、学校のHabitatfor Humanity(発展途上国において、住居支援をすることで自立を促す活動)に参加しました。この年の支援地は、日本にいる時には、馴染みのない国、アフリカのボツワナ共和国だったので、特に興味を覚えました。支援活動そのものはもちろん、参加メンバー20人の国籍は様々だったため、非常に思い出深い経験になりました。高校生20人が建てる家というと、簡単な小屋を想像すると思いますが、実際はブロック作りの30平方メートルほどの家です。水道も通っていないところでのかなりの肉体労働で、私にとっては想像以上に大変でした。

しかし、皆で一つのことを成し遂げる喜びは、その大変さを大きく超えるものでした。Habitat for Humanityの活動にみられるように、Brillantmontでは、世界中から来た友人達と日本では出来ない経験をすることが出来ました。週末には、スイスならではの様々なアクティビティーがありました。冬のスキー合宿では、アルプスを前にして言葉に出来ないほど素晴らしい景色の中で、スキーを楽しみました。ベルンやローザンヌのクリスマスマーケットも、この時期になると思い出されます。春や秋には、サイクリングやハイキングなど、スイスの自然を満喫しました。

今後について

スイスのインターナショナル・スクールに留学して良かった点は、他にもたくさんあります。まず、スイスはもちろん、イギリス、フランス、ドイツ、スペイン、ロシア、メキシコ、アメリカ、ブラジル、台湾、韓国など世界中から来た友人に出会えたことです。楽しいことや大変なことを共有することによって、国や言語が違っても、互いに通じ合える仲間が出来ました。日本に帰国してからも、連絡を取り合って、近いうちにブラジルにいる友人に会いに行こうと思っています。

さらに、私にとって、フランス語やフランス文化を学べたことがスイス留学の大きな収穫です。Brilllantmontでは、フランス語の授業が毎日あったので、日常会話には困らないようになりました。言葉を話すことによって、その国の生活の中に入っていけるような気がしました。ローザンヌはフランスに近い地域なので、フランスに行く機会も多く、フランスやスイスを初めとするフランス語圏の国々についてもっと学びたいと思うようになりました。それと共に、3年間の留学によって日本人としての知識を深めなければならないと感じました。そこで、卒業後は日本に帰国し、日本の大学で学ぶことにしました。将来は、フランスやスイスに関係する仕事に就けたらと考えています。卒業の時には校長先生から「留学当初は“baby”だったけれど、今は”lady”になったね」と言われました。スイスの3年間は、私にとって貴重な時間を過ごすことが出来ました。この間、支えって下さったエディクムの皆さん、ありがとうございました。



アメリカのボーディングスクールに7年間通ったR.S.くん

学校名 The Fessenden School / St. Mark`s School
学校の種類 ボーディングスクール (男子)
滞在国 アメリカ マサチューセッツ州
滞在開始学年 小学校6年生
滞在期間 7年間
滞在方法

留学のきっかけ

小学校の低学年から北米のサマーキャンプに行っていたので、海外の学校で学ぶことには興味がありました。当時小学生の僕がどれほど真剣に留学について考えていたかは正確には覚えていません。このまま他の世界を知らずに、小学校から大学まで変わらない環境で育つことは寂しいなと思ったのは確かです。そこで夏休みだけでなく、海外の学校で学ぶ決断をしました。

学校を選んだ理由

東海岸のボーディングスクールに数校ほど出願しました。男子校で高いレベルの教育が受けられ、スポーツが強い学校に入学したかったため、それにマッチしたのが、Eaglebrook と The Fesseden School でした。両校とも魅力的で、環境も抜群でした。ただ、学校訪問のときに直感的に自分に合っていると思ったのがFessenden でした。学校のパンフレットやウェブサイト上の情報も学校選びの材料として重要ですが、やはりキャンパスに初めて踏み込んだ瞬間に自分がこの学校に合っているかは大体分かります。

入学した当初

ジュニアボーティングの良さは、やはり世界中から集まった生徒や現地の生徒と寮で共同生活出来ることです。僕のように6年生から海外の学校に通うことでもちろん言語力も向上しますが、他国の学生との寮生活を通じて得られる経験はまた特別だと思います。それは、若い時から現地の生徒と長い時間を過ごすことで、現地の文化や考え方も自然と身に付くからです。言語を純粋に学ぶことが留学の目的ではないので、留学するからには現地の文化やライフスタイルに染まる勢いで生活しないと全く意味がないと思っています。もちろん、日本人としてのアイデンティティを捨て、アメリカ人になれと言うのではありません。しかし、留学する理由を考えると、自分が日本に住み続けていただけでは得られない経験を積むことは一つの大きな動機となるはずです。そのためには、現地の生活習慣、考え方、文化、スポーツ、流行の音楽まで全てを吸収して、よりバラエティに富んだ人間になることが重要であり、それを可能にするのが留学、特に小学校からのジュニアボーティングだと思います。

高校進学について

受験時期は正直大変でした。秋にニューイングランド地方の学校を両親と共に10校以上訪問しました。1日に3校回った日もありました。また願書のエッセーを納得いくまで何度も書き直しました。その時に一番思い出すのは、出願数週間前の感謝祭の休みに、友達の家に一週間泊まり込み、一緒にエッセーを朝から晩まで書き続けたことです。9年生で最終学年ということもあり、冬休みまでは勉強がとても忙しく、学校ではなかなか願書が書き終わらず、結局休みの一週間で必死に書き終えました。多くのシニアボーディングから合格をいただき、最後は校長先生と面接をしたSt.Marks Schoolに進学しました。

高校生活

シニアボーディングではジュニアと比べはるかに自由時間があります。一日の大まかなスケジュールは決まっていますが、時間の使い方は自分次第です。そのため、何もせずに部屋でぶらぶらすることも可能ですし、友達と一緒に外で遊んだり、買い物をしたり、図書館で勉強することも出来ます。時間・ルールを守れば、誰も何をしてはいけないとは基本的には言いません。間違った時間の使い方はないと思います。ただ高校を卒業してから、3年間を振り返ってみると、もうちょっと勉強出来たかな?と思う時期もありますが、オールシーズン全力でスポーツをして、試験前にルームメートと遅くまで一緒に勉強した、友達と過ごした一生忘れられない時間を考えると、高校時代の3年間は自分なりに有効かつ最高に楽しく過ごせました。

留学中の成功の秘訣

一つ挙げるとすれば、自分が他人からどのように思われているかを気にしないことです。留学当初は英語なんてしゃべれる訳もなく、ネイティブの人に笑われたり指摘されたりします。ただ、それで恥ずかしいから話すのを控えるとか、他人からどう見ているかなどを過剰に意識してしまうと、英語も上達しないし、私生活でも人間関係が広がらず、つまらない留学生活になってしまいます。実際、どんなに英語が下手でも積極的に話しかけてくる人に対しては努力してコミュニケーションをとろうとするし、周りには英語が母国語ではない人も大勢います。そして、生徒の人種、出身地、宗教などの背景がそれぞれ異なるため、最初は英語がしゃべれなくても、別にそれだけで人を判断することはありません。そのため、他人からの目線を気にして自分の殻にこもるのは留学をする上で成功を妨げます。

留学生活を振り返って

僕にとってこの7年間は夢のような時間でした。留学が終わった今、正直寂しく、戻れるなら戻りたいです。そして、現在の自分のベースとなっているのはアメリカでの7年間です。留学生活なしに今の自分はありません。英語ができるようになったのはもちろんのこと、自分により多くの興味を持たせてくれたのが留学です。例えば、オペラ鑑賞や美術です。高校まではオペラに全く興味がありませんでした。しかし、10年生の時に鑑賞して以来、毎年ニューヨークまでオペラを観に行きました。そして、美術史の授業を履修しました。元々は、卒業に必要な美術の単位を得るために友達に誘われて履修した授業なのですが、結果的には高校時代で一番好きな授業となりました。日本に帰国後も度々美術館に足を運ぶようになり、美術にほとんど無関心だったのが、今では大好きなスポーツに並ぶほど関心を抱くようになりました。

このように、新しい自分を見つけられる機会を与えてくれたのが留学でした。今自分が大学生になって様々なことに興味を持ち、挑戦することの重大さを感じています。大学という場所で勉強し、サークルや部活に励むことは大切ですが、ただそれだけでは何千人もいる他の学生と何も変わりません。その大学に通っている学生の一人というだけです。先ほど述べたように、バラエティ溢れる人間になることがとても大切だと僕は感じます。海外生活を通じてそのような人間になるために関心の有無を問わず、知らないことに積極的に挑戦する姿勢が必要だと感じます。

今後について

幼い頃から将来はスポーツ分野で活躍したいと思っていました。もちろん、選手としてではなく、スポーツ産業に携わる人間としてです。まだ、具体的にどのような職業に就きたいかは決めていませんが、日本のスポーツ産業をアメリカにあるような巨大なマーケットに発展させることが目標です。アメリカでの生活を通して、本場のスポーツビジネスというのを目の当たりにし、将来自分もアメリカで見たようなスポーツ産業というのを日本にも確立したいと思うようになりました。

後輩へのアドバイス

アメリカで過ごした7年間に苦労はあっても辛い思い出はほとんど記憶にありません。海外で生活させてもらっているのですから。留学をこれからする人、またしている人には辛い思い出なんてなかったと将来思えるような留学経験をしてほしいです。そのためには、卒業までの限られた時間で精一杯留学生活を楽しむことが大切です。もし精一杯楽しみたければ、時間を無駄にせず遊ぶときはとことん遊び、勉強するときは集中して終わらせるというメリハリをしっかりつけることが鍵となります。


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大切な子どもに残してあげられることは何でしょうか。たとえお金や物がなくなったとしても、教育を受けたことによる目に見えない「経験」は、貴重な財産としてその子の人生を豊かに彩る礎となるに違いありません。
グローバル時代と言われて久しい昨今、子どもの教育・経験を考える時に「海外留学」も選択肢のひとつとして当たり前になってきました。少なくとも、子どもがそれを望んだ場合には、保護者は耳を傾け、機会を与えてあげてほしいと願います。

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